参考

■ちゃんこの作り方
343165

塩味鶏ちゃんこ
材料(3~4人分)
米のとぎ汁もしくは水 鍋の6分くらいの量
鶏モモ肉 300~400g
キャベツ 一玉
ニラ 一束
生ニンニク 2~3ケ
豆腐・糸こんにゃく・アゲ・エノキ・大根・ニンジン・玉ネギ 量は好みで
ゴマ油・酒・しょうゆ・塩・こしょう・すりゴマ 適量
ダシ昆布 1枚
米のとぎ汁もしくは水とダシ昆布を鍋に入れ沸かす。 キャベツは大きめにザク切り。ニンジン・大根は短冊切りで、湯通ししておく。その他の野菜はお好みの大きさに切る。アゲは三角切り、豆腐は少し大きめに切る。 鶏肉は一口大に切り、塩・こしょう・酒・しょうゆとニンニクをすり潰した物を混ぜ、よく揉み味をしみ込ませる。
味をしみ込ませたら、鶏肉をゴマ油で全体がうすく焦げ目がつく程度炒める。 炒めた鶏肉をそのまま鍋に移して、塩・こしょう・酒で味を調えたあと、30分ほど煮る。 30分煮たら、野菜を煮えにくい物の順に入れていく。
全て入れ終えたら、ゴマ油を鍋一周たらしすりゴマをかけて完成。

☆★ポイント★☆

米のとぎ汁を使う理由は、乳白色のとろみのついたコクあるスープになるからで、一度洗ったあとの二度目くらいのとぎ汁がベスト。

鶏肉のつくねを使ったポン酢味のちり鍋
材料(3~4人分)
鶏肉つくねの材料
鶏のひき肉(二度びき) 800g
万能ネギ(みじん切り) 1カップ
山芋(すりおろしたもの) 1/2カップ
1個
片栗粉 おおさじ1
少々
ちり鍋の材料
鶏肉のつくね(鶏のひき肉) 800g
白菜 1/4株
ネギ 1本
しいたけ 8個
えのき茸 1袋
にら 2束
春菊 1束
豆腐 2丁
だし昆布 20cm
少々
適量
ポン酢醤油の材料
ポン酢 1カップ
しょうゆ 1カップ
酒・うまみ調味料 各少々
砂糖 おおさじ3
万能ねぎ・ゆず 適量
ボールに二度びきしたひき肉を入れ、塩を少々加える。このときに塩と肉をよく混ぜてなじませ、粘りを出す。 卵を入れて、手でかき混ぜる。 山芋を入れて混ぜる。山芋は多すぎると固くなって味をそこなうので加減する。
かなり重く感じるまで練ったら、片栗粉を入れる。 よく練り混ぜ、柔らかいときは片栗粉を加えて固さを調節し、最後に万能ねぎを加えて軽く混ぜ合わせる。後は、一口大の大きさの団子にすればつくねの完成。 つくねが以外の材料は切って下準備をしておく。
鍋にだし昆布を入れて、水をはり沸騰する直前に引き上げてスープを作る。 沸騰したところで、つくねを鍋に入れ、再び沸騰しアクが出たらすくいとる。 塩、酒で味を調え、沸騰したら白菜、ねぎ、しいたけ、えのき茸、にら、春菊、豆腐をいれ、煮えれば完成。
10 11 12
ポン酢・しょうゆ・砂糖・酒を合わせ、うまみ調味料を加えてよく混ぜる ゆずの皮はごく薄くむき、むいた皮は千切りにする。 万能ねぎを多めに刻んで入れ、ゆずの実は種をとって汁を絞り出せば完成。

☆★ポイント★☆
もみじおろし、にんにく、ごま、一味や七味などをポン酢醤油に加えてお好みの味に。

鶏肉のつくねを使ったカレー炊き
材料(3~4人分)
鶏肉つくねの材料
鶏のひき肉(二度びき) 800g
万能ネギ(みじん切り) 1カップ
山芋(すりおろしたもの) 1/2カップ
1個
片栗粉 おおさじ1
少々
カレー炊きの材料
鶏肉のつくね(鶏のひき肉) 800g
白菜 1/4株
ネギ 1本
大根 1/3本
人参 1本
椎茸 8個
豆腐 2丁
鶏がら 2羽分
しょう油・塩・うま味調味料 各適量
カレールウ 小を1/2箱
鶏がら2羽分を水から強火で炊いて、アクが出たらすくいとる。 沸騰後2時間弱火で煮込み、がら取り出して残りを濾してスープを作る。 鶏肉のつくねを作る。(前回参照)他の材料は切って下準備。大根と人参は下ゆでする。
2で作ったスープを鍋に入れ、沸騰したら鶏肉のだんごを入れる。 再び沸騰したところでアクをとる。しょう油を入れる。次にカレールウを入れる。 塩・うま味調味料を加減して、味を調えながら入れる。
沸騰したら、白菜・ねぎ・大根・人参・椎茸・豆腐をいれ、ひと煮立ちしたら出来上がり。

☆★ポイント★☆
カレールウはスープで溶かして入れるのがポイント。

鶏の塩炊き・中華風仕上げ
材料(3~4人分)
鶏肉(皮付のもの) 600g
白菜 1/4株
椎茸 4個
えのき茸 1袋
もやし 1/2袋
ニラ 1束
ごま油 適宜
味つけ調味料
塩・こしょう・うま味調味料 適宜
鶏肉はぶつ切り。他の材料は下準備しておく。 鶏肉を熱したごま油で炒める。 鍋に湯を沸かし、沸騰したら炒めた鶏肉を入れる。
アクが出たらすくいとる。 塩・こしょう・うま味調味料で、好みの味を作る。 鶏肉が煮えたら、椎茸・白菜・もやし・えのき茸を加え、最後にニラを加えて味を調え、煮立ってきた頃が食べごろ。
中華風 てっちゃん鍋
材料(3~4人分)
牛モツ 400g
ごぼう 1本
白菜 1/4株
キャベツ 1/4個
椎茸 4個
えのき茸 1袋
にら 1束
春菊 1/4束
もやし 1/2袋
豆腐 1/2丁
味つけ調味料
焼肉のたれ(市販品)(甘口と辛口を混ぜたもの) 3~5カップ
キムチの素 おおさじ3
しょう油 1/2カップ
少々
砂糖 おおさじ3~4
うま味調味料 適量
にんにく(すりおろしたもの) 適量
牛モツは一口大に切る。他の材料も切って下準備。ごぼうは粗いささがきにして水にさらしておく。 鍋に出来上がりの1/2の量の湯を沸かす。 沸騰したら、甘口、辛口の「焼肉のたれ」を入れ、続けて、しょう油、酒、砂糖、うま味調味料、すりおろしたにんにくを入れ、さらにキムチの素を加え、味を調える。
沸騰したら牛モツを入れて、アクが出てきたら綺麗に取り除く。 ごぼうを入れて柔らかくなるまでしばらく煮込む。 他の野菜類を加え、豆腐を入れ沸騰したら食べごろ。

☆★ポイント★☆
焼肉のたれは濃いめに入れるのが良い。
キムチの素をは豆板醤でないものを使う。
カルビやせんまいなど韓国風の材料でも美味しい。

 

■エッセイ(Dr.T)
104939

01.相撲は楽し

レビ桟敷(さじき)という言葉がある。土俵のすぐ下にある桟敷席をもじって、テレビで相撲観戦することを表したものだ。このテレビ桟敷での観戦を、皆さんはどのようにして楽しんでおられるのだろう。
友人は、相撲中継が始まると決まって近所の理髪店へ出かける。頭を刈ってもらうわけじゃない。熱烈な相撲ファンの店長と一緒に相撲観戦を楽しんでいるのだ。その理髪店には、他にも数人の相撲ファンが集まってくる。相撲が縁で親しくなった人たちだ。それぞれのひいき力士が勝った負けたで、冷やかしたり騒いだり。この時間に散髪してもらうと、きっと時間がかかるに違いない。
母も毎日欠かさず相撲を見る。茶の間のテーブルには、熱燗とつまみが用意され、新聞のスポーツ欄が開いてある。そこに掲載された「今日の取り組み」に赤ペンで勝敗を書きこみながら、ここでも勝った負けたで大騒ぎ。母の歓声があまりに大きいものだから、父は「もう少し静かにしろ。俺が暴力でもふるってると思われるじゃないか」とたしなめている。
髪店にたむろす友人、夫婦で晩酌する父母、そして私..... テレビ桟敷では人それぞれの楽しみ方がある。三者に共通しているのは、手元にエンピツと星取クイズの成績表があることだ。やはり、これが無いと相撲を見ている気がしない。というか、これがあるから相撲観戦も興奮する。たまたま点数が良くて入賞のかかった一番を迎えると、いい年をして心臓がドキドキしてくる。そうやって一喜一憂しながら、いつの間にか相撲がさらに好きになり、力士にも詳しくなっていった。
が身を考えると、部屋に閉じこもって相撲中継を見ている姿はずいぶんマニアックだ。テレビとラジオを同時に、両方の解説に耳を傾けている。「変人」と呼ばれても仕方ない。そこまでして相撲情報を欲するのはなぜだろう?よく考えたら、それもこれも星取りクイズでいい成績を取りたいがためだ。こうなってくると、私は相撲が好きなのか星取りが好きなのか判らなくなってくる。まあ、どちらでも構わないが。
(2003/03/01)

02.横綱という人格

綱朝青龍が問題になっている。原因はその土俵態度だ。具体的に言うと、行司軍配に抗議して土俵上の足跡を指さしながら睨んだり、自分が負けた相手を悔しまぎれにサガリで叩いたりする。かつて、そのような不遜な態度をとる力士を見たことがない。どんなに判定が不服でも、黙って二字口に戻り、礼をして土俵を下りるのが当り前だった。ましてや朝青龍は横綱。しかもサガリで叩いた相手は、モンゴルの大先輩・旭鷲山だ。
かに人格者の行為ではない。もしかすると一気に頂点まで駆け上がったこの若者は「いい気になっている」のかもしれない。ついこの間まで「旭鷲山関」と呼んでいた大先輩を、今は「シュウ」と呼ぶらしい。モンゴル相撲でも地位に関係なく目上の人には敬意をはらうらしいから、国民性の違いが原因ではない。朝青龍個人の考え方の問題だ。
れでも私は朝青龍をさほど非難したくない。好き嫌いは別として、そういう人間はどこにでも居る。むしろ強烈な個性を発揮していて、いかにもプロ、いかにもエンターティナーではないか。できれば部屋では竹刀を振りかざしながら若い衆をシゴいてほしい。チャンコがマズかったらテーブルをひっくり返してほしい。そういう「らしさ」こそ、見ていて面白いではないか。
れが、品行の悪さで横綱になれなかったり、横綱から格下げされるようなら、そのほうが問題だ。横綱にふさわしい態度なんて、今どきあまり意味がない。朝青龍は間違いなく強いのだから、横綱でなければならない。しかも顔つきといい態度といい完全に「悪役」の横綱だ。ここで朝青龍に対抗するヒーローが現れれば、大相撲はもっともっと盛り上がることだろう。むしろ正義の味方がいないことを、相撲協会や横綱審議委員会は嘆くべきだ。これから朝青龍の対抗馬が現れることを期待したい。朝青龍には、傍若無人のままいてもらいたい。
(2003/04/01)

03.関取昇進は下克上

乃花が引退した。数々の最年少記録を更新し、数々の名勝負を演じ、実力・人気ともに一時代を築いた大横綱と言っていい。そんな貴乃花に、アナウンサーが力士生活で最も嬉しかったことを尋ねたら、意外にも「十両に上がったとき」という答が返ってきた。もっとすごいことをたくさんやっているにも関わらず、だ。貴乃花に限らず十両昇進を「いちばん嬉しかったこと」にあげる力士は多い。いや、ほとんどの力士がそう言う。それほど関取になることの意味は大きいのだ。
取。力士は十両以上になって初めて「~関」と呼ばれる。一種の敬称だ。関取になると全ての待遇が一変する。まず給料がもらえる。それ以前は、せいぜい親方やおかみさんから小遣いをもらう程度なのだから、嬉しくないわけがない。これまで務めてきた「チャンコ番」も免除される。部屋も、共同部屋から個室へと移る。既婚者なら自宅から部屋へ通うことも許される。ほかにも稽古で白いマワシが締められたり、(チョンマゲでなく)大銀杏が結えたり、本場所は草履に紋付き・はかま姿で場所入りし、化粧マワシで土俵入りし、取り組みは(木綿ではなく)シュスの締め込みにノリで固めたサガリを付け、制限時間も長くなる。つまり十両と幕下は、天と地ほどに違うのだ。
取になったことを一番実感するのは、付き人があてがわれた時だろう。日常の細々したこといっさいを付け人がやってくれる。服を着せ、荷物を持ち、稽古場では汗を拭き、風呂では体を洗ってくれる。それまで自分がやっていたことを付き人に命じながら、力士は自分の出世をしみじみと実感する。紋付に大銀杏といういでたちで、付き人を従えて里帰りすることが、関取として最初の親孝行になる。
士の地位は番付が発表されたその日に決まる。そしてその地位は、次の番付発表まで2カ月間動かない。極端な場合は、昨日まで付き人として従えていた力士に、今日から自分が従わなければならない羽目になる。だから長く関取を務めたベテラン力士は、十両陥落が決まったときに引退を決意するものだ。今さら付き人など、プライドが許さないのだ。
濱ノ嶋という力士がいる。名門の日大相撲部出身で、10年以上も幕内を務め、三賞や三役の経験もある。そんな男が、もう1年以上も幕下にいる。30歳をとうに過ぎ体力も落ちていることだろう。プライドはズタズタだ。それでも濱ノ嶋は相撲を取り続けている。ひたむきに土俵に上がり続けるその姿を見ていると、こちらまで元気づけられる。
(2003/05/01)

04.学生相撲の功罪

和の終わり頃から、大学を出て角界入りする力士が顕著になった。出羽の花、舛田山、栃司、栃乃和歌、両国、久島海といった力士たちだ。しかし、それはあくまで少数派。学生にすれば「大学を出てまで相撲取りになりたくない」という風潮があったろうし、それ以上に親方衆に「大学出は年を取りすぎてモノにならない」という先入観があった。しかし舞の海あたりから学生相撲が続出し始めた。大翔山、大翔鳳、大輝煌、肥後の海、濱ノ島、智乃花、朝乃翔.....

キリがないからこのへんで止めよう

や常時10人前後の学生出身が幕内を占める。最大の功労者は日大の田中監督だと思う。田中監督が、日大相撲部の練習を、相撲部屋の稽古に勝るとも劣らぬものにした。それによって、角界に入ってもすぐに通用する力士が次々に現れた。日大が強くなったことで、他校も負けじと強化に努めた。その相乗効果が学生相撲全体をレベルアップさせたのだ。今や日大勢は琴光喜と高見盛のわずか2人。他は武双山が専修、土佐ノ海が同志社、栃乃洋が拓殖、出島が中央、雅山が明治、玉乃島が東洋、霜鳥が農大、....

やはりキリがないからこのへんで

と、実にバラエティーに富んでいる。列挙してみると、それぞれ個性的で自分の型がある。大物食いをする力士も多い。へたに早い時期から相撲部屋に入るよりも、大学相撲で揉まれたほうが成功する時代になってきたのではないだろうか。
が、不思議なことに学生出身はなかなか大関や横綱になれない。高校生でアマ横綱を獲得し、学生時代は無敵の強さを誇った久島海でさえ前頭筆頭に終わった。土佐ノ海や栃乃洋もやがて大関になりそうな気がした。それほどの快進撃で一気に三役まで駆け上がりながら、今なお大関に届かない。怪物・武双山ですら大関に甘んじている。横綱に至っては、学生出身はいまだ輪島しか出ていない。
生出身力士、それも学生時代にあるていど活躍した力士の入幕率はそうとう高いに違いない。にも関わらず、大関以上に昇進する確率はきわめて低い。今や幕内力士の4人に1人が学生出身なのに、ほとんど横綱や大関になれないのはなぜだろう。何か原因があるに違いない。それが稽古なのか、精神的なものかは判らない。彼らは学生時代に何かを失い、あるいは何か身に付けてしまい、強くなりきれないのではないだろうか。
(2003/06/01)

05.さらば安芸乃島

成2年に東奥商事に入社。以来13年間、大相撲星取クイズを愛好してきた。今でこそ、こうして相撲エッセイなんぞを書いたりしているが、最初から相撲に詳しかったわけではない。会社の先輩にあれこれアドバイスしてもらいながら予想力士を選んだものだ。クイズに初めて参加した時の9点枠力士は今でも忘れない。安芸乃島だった。先場所をもって安芸乃島が引退を表明したとき、ふとそのことを思い出して、改めて安芸乃島の偉大さを実感した。安芸乃島は13年前には既に幕内力士で、なおかつ9点枠にふさわしい実力を誇っていたのだから。
関脇という言葉がある。これは単に「最高位が関脇」というだけの力士には当てはまらない。不運にも大関にはなれなかったが、長く関脇の地位を保ち、時には上位を脅かし、時には優勝争いに加わるような存在感を発揮した力士だけに贈られる称号だ。安芸乃島はまさに『名関脇中の名関脇』と言っていい。史上最多の金星数と三賞獲得数が、彼の、いぶし銀のように輝く現役時代を物語っている。
芸乃島のインタビューは口数が少ない仏頂面で有名だ。なんとかコメントを取ろうとするアナウンサーとの対比が滑稽で、相撲ファンにとっては「隠れた人気コーナー」だった(もっとも平素の安芸乃島はむしろ多弁で冗談好きとか)。安芸乃島には、全ては土俵で主張するという美学があった。実際、土俵上の安芸乃島は絵になっていた。四股を踏むときに真っ直ぐに高々と上げる足の見事さ。仕切りで両手を付いて相手を待つ潔さ。決して体にサポーターを巻かないことも、その美学の現れであったろう。肩を大ケガして手術した翌場所ですら、安芸乃島は痛々しい傷痕をむき出しのまま土俵に上がっていた。
士が引退するたびに一抹の寂しさを感じずにはいられない。とりわけ安芸乃島は特別な存在であった。これで、入社時から見てきた力士は一人もいなくなった。私もそろそろこの会社で「年寄」の部類に入ってきたということだろう。
(2003/07/01)

06.三賞の相対性理論

賞は特に活躍が際立っていた幕内力士に贈られる。8勝以上で勝ち越していることが前提で、横綱と大関は対象外。敢闘・技能・殊勲という3部門に分かれ、それぞれ選考基準が異なる。大勝ちした力士に送られるのが敢闘賞ということになっているが、その場所でいちばん多く勝った力士が受賞するとは限らない。例えば大関経験者の雅山や、三役経験の長い土佐ノ海などは11勝しても選ばれにくい。一方で、それまでせいぜい8勝しかできなかった力士が10勝すると受賞してしまったりする。最も可能性が高いのは新入幕力士で、2ケタ勝てばまず間違いなく受賞できる。
も名誉な賞と言われているのが殊勲賞で、横綱や大関を倒した力士が対象となる。その性質上、横綱や大関と対戦しない下位力士には縁遠い。「何人倒せば受賞」という目安があるわけではないが、だいたい2横綱1大関もしくは1横綱3大関ぐらいを倒せば当確。あるいは14勝した優勝力士に、たった1人だけ土を付けた力士なども選ばれる。
ちばん受賞しにくいのは技能賞かもしれない。「該当者なし」に終わることも珍しくない。優れた技能を発揮した力士が対象となるが、決して技巧派とは言い難い力士でも受賞することがある。一般に押し相撲(特に突き押し相撲)より四ツ相撲、大型力士より小兵力士が選ばれることが多い。
れら3つの賞は、どれもはっきりした選考基準がない。いずれも「印象」とか「存在感」で決まるようなところがある。千秋楽の取り組みが全部終わってから選ぶわけでなく、千秋楽までに候補を決めておかなければならないので、場所の中盤で目立った力士がやや有利だ。序盤での活躍は印象が薄れてしまうし、14日目や千秋楽で強烈な勝ち方をしても、もはや考慮されないからだ。
ばしば受賞している力士も選ばれにくい。上述のように敢闘賞がそうだし、殊勲賞にもその傾向がある。そうした傾向にあって「三賞の常連」と呼ばれる力士は、本当に力があると言っていい。
いつもなら三賞に選ばれてもおかしくない成績でも、その場所にもっと活躍した力士がいたために選ばれないということもある。かつて1横綱4大関(その当時の大関全員)を倒しても殊勲賞がもらえなかった力士がいた。12勝して敢闘賞がもらえなかった力士もいた。だから三賞を取った力士が、その場所で最も活躍したかといえば、あながちそうとも言えない。きわめて相対的な三賞の選考基準に、例えば今場所であれば、若の里や土佐ノ海が少し悔しい思いをしたことだろう。
(2003/08/01)

07.行司はつらいよ

司の定員は45人。力士は実力があれば出世できるが、行司は必ずしもそうではない。基本的には年功序列で、上が空かなければ(誰かが辞めなければ)先に進めない。行司の定年は65歳で、十両格に出世するまで15年ぐらいかかる。取り組みを正確に裁かなければ出世に響く。即ち、年間で規定回数以上の差し違えをすると、降格させられる。この規定回数は、幕下格以下が1年に12回、十両格以上は1年に6回となっている。
も位が高いのは立行司(たてぎょうじ)で、通常は2人いる。木村 庄之助(きむら しょうのすけ)が上格。次いで式守 伊之助(しきもり いのすけ)。他に、上から三役格、幕内格、十両格…と全部で8つの階級に分けられる。
上下関係に厳しいのは行司の世界も同様で、格によって給料その他の待遇が違う。服装もはっきりと異なり、幕下格以下の者はハカマのスソを上げて裸足で土俵に上がる。十両格になってようやくタビを履くことが許され、三役格以上は草履になる。結びの一番を裁く立行司のみ紫色の着物を着ることができる。腰に短刀を差している点も、立行司とその他の行司で異なる点だ。立行司の短刀は「差し違えたら(判定を誤ったら)切腹して果てる」という覚悟を表している。もちろん実際に切腹することはないが。
レビ中継は、行司にとって迷惑なシロモノだろう。微妙な勝負には物言いがつけられ、最終的にはビデオで判断されるのだからたまったものじゃない。審判長の耳にはイヤホンが差してあって、モニター室にいる審判員から連絡が入る。モニター室では、勝負の瞬間を様々な角度からスローモーションで見ることができる。たった一人の行司がいかに目を凝らそうと、スロービデオに勝てるわけがない。行司にとっては受難の時代。正確に裁いて「あたりまえ」で、正確に裁き続けても出世できるとは限らない。一方、差し違えが多発すれば直ちに降格。そういう意味では、力士よりシビアな階級社会である。
代の木村庄之助は実に緻密な軍配さばきをする名行司だった。いつだったか、貴乃花と曙がもつれながら転落。その小柄な立行司は、二人の大男が組み合ったまま土俵下へ倒れていくのを、俵の反対側から見つめていた。どちらの体が先に着いたか見えるわけがない。それでも庄之助は迷うことなく貴乃花に軍配を上げた。物言いがついたが、審議の結果、「軍配どおり」という結論だった。アナウンサーは、あの位置にいる庄之助がなぜ正確に勝負を見極められたのか不思議がっていた。
察するに庄之助は、両者の動きや流れの中から、見えない部分をも正確に想像できたのではないだろうか。言ってみれば「心眼」という境地だ。土俵の勝負とは別に、行司の「名人芸」を目の当たりにできた瞬間も、それなりの醍醐味が味わえる。
(2003/09/01)

08.朝稽古に出かけよう

京近辺にお住まいの方や、仕事や旅行で上京する機会のある方は、ぜひ早起きして朝稽古を見学されたい。朝稽古は朝の4~5時から9~10時ぐらいまで毎朝行われている。事前に見学を申し込む必要もなく、無料で見られる。親方とすれば見学者は大歓迎で、ギャラリーが多ければ多いほど、力士にも張り合いが出るものだ。
屋によっては若い衆がお茶を出してくれる所もある。殺気立っている稽古中でなければ、稽古後に一緒に写真を撮ったり色紙にサインしてもらうこともできるかもしれない。ただし稽古前や稽古中は遠慮すべき。稽古場での私語や飲食も厳禁。稽古場に下りるのもいけない。静かに見学して稽古に集中してもらいたい。
近で見る稽古は実に迫力がある。頭からぶつかり合う時の、あの鈍い音を聞いてほしい。とめどなくしたたり落ちる汗と荒い息。テレビ解説では温和な親方も、鬼の形相で竹刀を振りかざし怒鳴りまくっている。そこはまさに“戦場”だ。朝稽古を見ていると、今さらながら相撲が真剣勝負の格闘技であることを思い知る。
力士の体は何度も地面に転ばされまがら土まみれになっていく。時には地面に叩きつけられたり、壁に突き飛ばされることもあり、あまりの凄まじさに鳥肌が立ってくる。
力士や人気力士のいる部屋には、他の部屋からも出稽古にやって来る。今なら、朝青龍の高砂部屋には同門の高見盛や千代大海なども頻繁に顔を見せるのでオススメだ。幕内力士ぐらいになると、8~9時ぐらいになってから稽古を始めるので、見逃すことはないだろう。
関取など居ない小部屋の稽古や、早い時間の若い衆の稽古を見るのも面白い。これから伸びようとする、欲と希望に燃える若者たち。彼らがひたむきに稽古する姿を見ていると、こちらまで元気になってくる。朝稽古に出かけよう!
(2003/10/01)

09.仕切りと立ち合いの美学

撲の勝負は8割がた「立ち合い」で決まる。うっちゃりや肩透かしといった逆転技が決まらない限り、先に前へ踏み込んだほうが勝つものだ。どんなに力があっても、どんなに大きな体をしていても、遅れて立てば劣勢は必至。だから力士は立ち合いの一瞬に全神経を集中する。
呼吸が合わず「待った」をする場面がある。どちらかの力士が(あるいは双方が)一瞬ためらったか、あるいは意図的に相手の集中力をそいでいるのだ。これを「息詰まる駆け引き」と評する人もいるが、私はそうは思わない。潔さが感じられない。相手をじらすあまりの「待った」ほど興冷めするものはない。
ち合いから目が離せなかったのは舞の海旭道山。何をしてくるか予想もつかなかった。
見ごたえのある立ち合いをする力士では土佐ノ海が圧巻だ。もうベテランの域に達しているが、立ち合いの激しさで彼を凌ぐ力士は未だ現れない。「だあっ」というかけ声と共に、頭からぶつかっていく迫力。相手の変化など微塵も考えていない。たとえ変化されても、そのまま押し切ることに徹している。土佐ノ海は、立ち合いで駆け引きしていればもっと出世した力士かもしれない。だが三十路に入った今なお、愚直なまで突撃相撲を繰り返す。この潔さは見ていて痛快だ。
反対に最も情けない立ち合いをするのが旭鷲山。いかにも力を抜いてフワリと立ち、両腕を前方に伸ばす姿は「恐いからぶつかってこないで」と言わんばかり。自分からぶつかるどころか、相手がぶつかることさえ拒絶していて、なんとも上品なことだ。
手より先に立つためには、仕切りの時から、すぐにでも立てる体勢を作っておく必要がある。テレビ中継をするようになって、仕切りに「時間制限」が設けられた。「時間」になると審判役がサッと手を上げる。それを見計らって、呼び出しが手ぬぐいを差し出し、「時間」であることを力士に告げる。この「時間」前に立つこともできる。仕切りをしながら睨み合い、相手と呼吸が合えばいつ立っても構わないのだ。いや、本来はそうあるべきだろう。かつて貴闘力濱ノ嶋がよく時間前に立った。いつ立つか判らないので、「時間」前でも目が離せなかった。逆に水戸泉高見盛は最後の“セレモニー”をするまで立たないので、「時間」前にトイレに行くことができる。
の仕切りにも、美しい力士とそうでない力士がいる。一番みにくいのは北勝力。まるで柔軟体操の前屈でもしているかのように、脚が伸びて腰が高い。体が異常に硬く、上半身だけで相撲を取っているのがバレバレだ。
いちばんきれいな仕切りをするのは武双山。完全に腰を割り、下半身に力がみなぎっている。こういう仕切りを、かつて栃若時代を築いた栃錦初代若乃花、角聖(相撲の神様)と言われた双葉山が見せていた。
相撲は勝負である。地位も名誉も金も、勝たなければ得られない。だから力士は、勝つために細部まで研究し、あらゆる策を弄する。その一方で、相撲は武士道でもある。精神的にどれだけ崇高であれるか、自己を鍛練する手段でもあると思うのだ。目先の勝ちにこだわらず、自らの哲学と美学を土俵上で昇華させる潔さ。そういう力士の登場を、これからも期待したい。
(2003/11/01)

10.不思議な制度

980年代あたりから力士の大型化が叫ばれ始めた。双羽黒や大乃国が横綱に、小錦が大関になった頃で、平幕にも大きな力士が多数を占めた。あれから20年が過ぎ、今や身長180cm前後なら「小兵」。体重130kg台なら「軽量」の部類に入る。
そんな力士の大型化がケガを続発させた。大きくて重い体は、相手を一気に持っていく突進力や、マワシを取られても動じない利点がある。だが一方で、引かれたり変化されたりすると危うい。倒れたときは自分自身の重さもダメージに加わる。巨大化した力士たちは、ちょっとした転倒で筋肉が引き裂かれ、骨が押し潰された。ケガを負って休場する力士が相次ぎ、近ごろは幕内に限っても10人以上が千秋楽に出て来ないありさまだ。
場所から「公傷」が撤廃される。いいことだ。なぜもっと早く行わなかったのか不思議なくらいだ。
公傷制度が、休場を助長したことは間違いない。例えば先場所の武双山は、公傷が認められていれば迷わず休場していたはずだ。公傷にならなかったら、出なければ大関を陥落するから、無理を押して出てきたのだ。
休んだ力士はどんどん番付を落とせばいい。そうなればケガをしがちな力士が淘汰され、ケガをしにくい力士だけが残る。たぶん、少し「小型化」するだろう。そうなれば相撲も技巧的になり、スピードや変化のある面白い取り組みが増える。外国人力士も、体が大きいというだけでは出世できなくなる。公傷制度を廃止すると、(力士にとっては大変だが)見る側にとってはいいことずくめだ。
のように、ブームに関係なく相撲を見、星取を愛好する者にとって、相撲人気の低迷はむしろ歓迎したい。なぜなら、相撲協会が重い腰を上げてくれるからだ。協会は相撲人気を回復させるべく様々な改革を行っている。公傷制度の廃止もその一環。改革すべきことはまだまだある。
どうにかしてほしいのは同部屋の対戦だ。なぜ同じ部屋にいる力士が対戦してはいけないのだろう。若貴が横綱だったときにそうなっていれば、もっともっと名勝負が生まれたに違いない。安芸乃島は金星の数をさらに増やしただろうし、貴ノ浪や雅山は大関になれなかったかもしれない。この制度は、上位キラーや弱小部屋の力士を確実に不利にしている。
撲を、欧米発祥のスポーツのようにどこまでも合理的にする必要はない。古いもの、儀式的なものを残していくことも大切だ。だが、こと勝負に関しては徹底的にシビアであってほしい。見ていて、そのほうが楽しい。ファンサービスなどと言って観客に媚びる必要はない。迫力あるガチンコの勝負が見たいだけだ。
(2003/12/01)

11.平成の大横綱に一代年寄を!

士はふけるのが早い。引退して親方になれば、たとえ20代でも「年寄」と呼ばれる身の上だ。
年寄名跡(みょうせき)の数が相撲協会には105ある。実際には107の名跡が存在していて、残る2つは大鵬親方と北の湖親方の名跡。65歳の定年を迎えるまでのあいだ有効な「一代年寄」だ。北の湖という大横綱の功績が認められて本人に送られたものだから、定年になっても誰かに継承させることはできない。
はもう一人、一代年寄が存在するはずだった。それが千代の富士。千代は大鵬のに1つ及ばない31回の優勝を果たしている。通算の勝ち星が千勝を超えたのは千代しかいない。そんな千代に、相撲協会は一代年寄を提示したが、千代のほうでそれを断った。期限付き、自分だけに有効な名前ではなく、代々受け継がれる伝統ある名跡を選んだのだ。
鵬、北の湖、千代の富士は歴代横綱の中でもその強さが際立っている。優勝回数、全勝優勝数、連続優勝数、横綱在位、連勝数といった記録のベスト3は、ことごとくこの3人。それらの記録は圧倒的な強さが長期にわたって続いたことを示す数字で、一時代を築いたことを物語っている。
つまり一代年寄りなど、そう簡単になれるものではない。不世出の天才、天下無双、連戦連勝の横綱でなければならないのだ。優勝しても、ファンから「またこいつか」と憎まれるぐらい、どうしようもなく強い横綱でなければ、相撲協会は推挙しない。
の3人ほど憎まれはしなかったが、3人に肉迫する強さを誇った力士がいる。平成の大横綱 貴乃花だ。曙、若乃花、武蔵丸といったきら星のごとき横綱たちと同時代にありながら、その実績は他の追随を許さない。すなわち....
■優勝回数
1位大鵬32、 2位千代31、 3位北湖24、 4位貴花22
■全勝優勝回数
1位大鵬8、 2位北湖,千代7、 4位貴花4
■連続優勝場所数
1位大鵬6、 2位北湖,千代5、 4位貴花4
■連続勝ち星
1位双葉山69、 2位千代53、 3位大鵬45、 4位北湖32、 5位貴花30

等々、貴乃花はビッグ3に次ぐ実績だ。これが最年少記録やスピード記録といった分野では、貴乃花の独壇場となる。人気については言うまでもない。相撲界に対する貢献度は大きい。
現在、二子山部屋付きの「貴乃花親方」として後進の指導にあたっている貴乃花だが、一代年寄の資格は十分あるように思える。一代年寄は単なる名跡でなく、相撲史を体現する記念碑のようなものだと思う。「注射相撲」が蔓延した昭和から平成への過渡期を、ひたすらガチンコ相撲で君臨したのだから立派なものだ。貴乃花にぜひ一代年寄を贈りたい。
(2004/01/01)

12.『のたり松太郎』考

でも一度は『のたり松太郎』を読んだことがあるだろう。初めてビッグコミック誌に掲載されたのは1973(昭和48)年。主人公の松太郎は落第をくり返す18歳の中学生だった。あれから30年。嬉しいことに、松太郎はいまだ現役で相撲を取っている。
かくも長きにわたって連載が続いているのは、読者の持続的な支持があるからに他ならない。30年もたてばビッグコミックの読者層も変わり、相撲人気の高騰や低迷もあったろうが、『のたり松太郎』の面白さはいっこうに色褪せない。その秘密はどこにあるのだろう?
えば作者 ちばてつや の味わい深い画風。『あしたのジョー』の矢吹丈、『あした天気になあれ』の向太陽など、ちば作品の主人公は貧しい家の出が多い。彼らの住む町並みや家の中の様子には、どこか懐かしさや郷愁が漂っている。
『のたり~』に関して言えば、土俵上での対戦以外はもちろんのこと、それ以外の場面もかなり凝って描かれている。国技館の前に立ち並ぶノボリ、支度部屋の明荷、呼び出しが叩くふれ太鼓、土俵下の塩籠など、相撲ファンが喜びそうなマニアックな背景がそこかしこにある。
士の日常がかいま見られるのも楽しい。一般人は知ることのない力士の生活が、いかにも「それっぽく」描かれている。
力士たちの部屋の様子を見るのが好きだ。巡業先の大部屋でザコ寝する力士たちの回りには週刊誌が散らばり、ラジオや蚊取り線香がある。関取の個室には相撲雑誌やダンベルが無造作に置かれ、壁には番付表や三賞か何かの賞状と一緒にアイドルのポスターなんかも貼ってある。さらに最近は、相撲の取り組みを収めたビデオテープやノートパソコンなどもあったりする。
付け人の様子も興味深い。1歩後に控えてどこへでもお供をし、競馬新聞を読みながら横たわる関取の体をもみ、関取が携帯電話をかけながら「Vサイン」をするとタバコを差し出す。いかにも今ふうの生活の中に展開される、昔ながらの厳しい上下関係。これまた、いかにもありそうな光景だ。
ミック版『のたり~』は4年前(2000年1月)に36巻が発売され、その後は休筆が続いている。ちば氏が「ネタ枯れ」したのかもしれない。それはそうだ。30年にわたって持てるだけの知識やアイディアを注ぎ込んできたのだから。だが「休筆」ということは、「再開」するということだ。むりやり最終回に持って行かないのは、ちば氏が『のたり~』をライフワークと位置付けているためだろう。好きなだけ休んで、じっくりアイディアを練ってもらいたい。
しばらく読むことのなかった『のたり~』の最新5巻をネットで購入した。正月休みは、ひとつ第1巻から通しで読んでみたい。
(2004/02/01)

13.不平等で公正な「割り」

場所は11日目まで朝青龍・千代大海・魁皇・朝赤龍の4力士が全勝で、これまでになく優勝争いが白熱した。朝赤龍は翌12日目も勝ち、千秋楽まで13勝1敗。けっきょく千秋楽に敗れて優勝を逃したが、もう少しで「前頭12枚目の優勝」という珍事が実現するところだった。
似たような珍事が無いわけではない。新しいところでは平成12年の春場所で、前頭14枚目の貴闘力が13勝2敗で優勝している。貴闘力はそれまで10年近く幕内を務め、25場所も三役経験のある実力者だったから、わざと平幕下位に下がって大勝ちしたのでないかと訝る者もいた。いずれにせよ貴闘力の優勝は立派なもの。平幕優勝が至難の業であるのは、先例が数少ないことが証明している。
れでも力士の成績を考えたときに、平幕中位~下位の力士が有利であるのは否めない。基本的に対戦相手が楽だからだ。例えば前頭筆頭~4枚目であれば全ての横綱・大関と対戦するが、前頭5~6枚目になるとそのうち1人か2人としか対戦せず、前頭7枚目以下なら全く対戦しない。だから、例えば同じ8勝7敗でも「前頭筆頭の8勝」と「前頭14枚目の8勝」では、その大変さが較べものにならない。
三賞の選考時にはそのあたりも考慮されるが、「いちばん多く勝った者が優勝」という賜杯レースでは、明らかに不平等が生じている。
士の対戦表のことを割りと呼ぶ。割りを考えるのは日本相撲協会で、場所中は毎日昼過ぎに、2日後の割りが発表される。
通常は近い番付の力士どうしが対戦するが、序盤から勝ちまくると次第に上位の強い力士とぶつけられることになる。普通なら前頭2ケタ台の力士としか対戦しないはずの朝赤龍にも、三役戦や大関戦が組まれるというわけだ。
はっきり言って不平等である。例えば朝赤龍が全勝の魁皇と対戦した日、同じく前頭12枚目の闘牙は14枚目の春ノ山と対戦していた。東西が違うだけで同じ番付にありながら、これだけ対戦相手の差が生じている。
んな割りの作り方は、しかしながら、いたって公正な処置だと思う。そうしなければ平幕下位の優勝者が続出することだろう。上位では全く通用しないのに、弱い力士相手に勝ちまくって優勝したのではつまらない。
相撲には明文化されていない曖昧な規範やルールがたくさんある。番付の決定方法、大関や横綱への昇進基準、立ち合いの「手つき不十分」の見極め、微妙な勝負の「同体」と「死に体」の区別、三賞の選考方法・・・・。割りの決定方法もその一つだ。それを良しとするか否かは個人の自由だが、それが相撲の相撲たる由縁だろう。
(2004/03/01)

14.鏡里追悼

る2月29日、第42代横綱の鏡里が亡くなった。享年80歳。現役時代は、まるで相撲人形のように見事な「たいこ腹」をした、絵になる横綱だった。
千代の富士以降しか知らない私にとって、鏡里は伝説上の人物だった。新聞で訃報を知ったときは、今年の2月までご存命だったことが意外に思えた。もっと遠い昔に存在した人物だと勝手に思いこんでいたからだ。書物やエピソードで知る鏡里には、そんな古色然とした雰囲気が漂っている。
里は、「角聖」と言われた双葉山を崇拝していた。双葉山は、相撲を「相撲道」と呼び、部屋を「道場」と称し、成績よりも精神的な崇高さを追い求めた。鏡里も双葉山イズムの影響を受け、ストイックで求道士然とした相撲哲学を持っていた。
今年の初場所をテレビで見ながら、「ケガが多いのは稽古が足りないからだ」と言っていたそうだ。あるいは「最近は相撲を見せずに、勝ち負けだけを見せている」とも。相撲内容に対する不満のことを言っていたのではあるまいか。
うひとつ有名なエピソードとして、後援会を作らなかったことがある。そう、横綱鏡里には後援会が無かったのだ。母親に対するいたわりの気持ちがそうさせた。すなわち後援会の人々に頭を下げてまわることを、田舎育ちの朴訥な母親にさせたくなかったのだ。
後援会に限らず、鏡里のエピソードは謙虚で人間愛に満ちている。例えば昭和26年の初場所が終わり大関に推挙されたとき、鏡里は部屋でその伝令を迎えなかった。大関になれるとは夢にも思わず、大阪の友人を見送るために東京駅まで出かけていたのだ。
戦後間もないころは、行商に歩いている老婆を呼びとめ、荷物を全て買い取ったとも言う。大きな荷物を背負う老婆を見るに見かねたせいだ。勝負の世界で頂点まで上りつめた偉丈夫の心中には、人一倍の優しさと慈しみの心が内在していた。
つことが全て、勝てば誰にも文句を言わせないとうそぶく横綱がいる。全国各地に後援会を作り、家族を総動員して金集めに奔走する力士もいる。大関を目前にして星勘定に一喜一憂する力士もいる。それらが悪いとは言わない。
鏡里のような力士は、今の世には現れにくいのかもしれない。強くて、優しくて、心の純粋なお相撲さん。わずか2カ月前まで生きていた人を、なんとなく遠い昔の人物だと思ってしまったのは、そんな鏡里の魅力によるところが大きい。
故人のご冥福を祈りたい。
(2004/04/01)

15.土俵祭に想う

あって春場所の土俵祭(どひょうまつり)を見てきた。本場所の前日に行われる行事で、新しく作った土俵を清め、神々を鎮めるという意味がある。古式ゆかしい一連の儀式は神聖かつ厳粛で、明日から始まる激闘が、単に「勝敗を競うためのスポーツ」ではないことを実感する。
立行司2人が祭主となり、相撲協会からは北の湖理事長と審判委員らが列席。土俵の四隅にお神酒が捧げられ、続いて「方屋開口(かたやかいこう)」と呼ばれる祝詞(のりと)を奏上する。言葉の意味は解らないが、土俵の由来、勝負の道理、五穀豊穣の祈りなどを述べているそうだ。そして最後に土俵中央に鎮物(しずめもの)として米、スルメ、昆布、塩、カヤの実、かち栗の6品を埋め、その上からお神酒をかけて終了した。
俵は場所後に取り壊されるので、場所ごとに新設される。土俵を作るのは行司の役目で、土盛りから俵作りまで全工程を行司だけで完遂する。一辺6.7mの正方形の土台に形成されるのは内径4.5mの丸い土俵。合計20個の俵を使い、4分を地上に、6分を地面に埋めながら円を描いてゆく。俵の、地上に出ている部分の高さは5cmで、寸法が同じことから「浅草の観音様」と表現される。
仕切り線は白いエナメルを使って引かれる。幅6cmの長さ80cmで、二本の線の間隔は70cm。この狭間に、前述の鎮物が埋まっている。土俵の鬼、初代若乃花は「土俵に金が埋まっている」と言って若い衆を叱咤激励したそうだが、実は米や栗が埋まっていたのだ。
り屋根についても言及しよう。伊勢神宮などに見られる「神明造り」という様式で、アルミの骨組みにケヤキの木材が使われている。屋根裏にはテレビ中継用の照明が何個も取り付けられ、総重量は実に6トン。それをたった2本のワイヤーロープで吊っている。
屋根の下に張り巡らされた幕は「水引き」といい、紫地に白く桜の紋章が染め抜かれている。桜は日本相撲協会の紋。その名の通り幕は水の流れを表したもので、けがれを祓って清浄にするという意味がある。
四隅に垂れる房は四季と神を表す。即ち東の青房は春で青龍(せいりゅう)、南の赤房は夏で朱雀(すざく)、西の白房は秋で百虎(びゃっこ)、北の黒房は冬で玄武(げんぶ)。青龍、朱雀、百虎、玄武の4神は天地を司る神として、かの高松塚古墳の壁画にも描かれている。
水引きが清め、4神が見守る土俵で、力士たちは相撲を取っている。そう考えれば、なぜ彼らが戦いの前に塩をまき拍手を打つのか解ってくる。
場所になると、決まって大阪府の女性知事が「土俵に上げろ」と騒ぎ立てる。女性を土俵に上げないしきたりは男女不平だとまくしたてる。そうだろうか?
そもそも土俵の中に米や栗が埋まっている必要はない。屋根を吊ったり、幕や房を垂らしたからといって、相撲の決着が変わるわけでもない。不合理と言えば不合理。これはあくまで儀式なのだ。精神的な部分で、相撲をどう捉え、何を拠り所とするかの問題だ。家を新築した人が(たとえその人が無信心であっても)地鎮祭を行うのと同じことなのだと思う。土俵祭についての意味を知り、「あれはあれでいいものだ」と思いながら帰ってきた。
(2004/05/01)

16.解説者を楽しもう

撲中継で誰が解説するのかも楽しみの一つ。一昔前までは、私よりずっと年輩の、現役時代を知らない親方ばかりが登場したものだ。それが今では、星取に選んで一喜一憂した力士たちが親方になって登場するので親近感がある。現役時代の相撲っぷりと、マイクを前にしたときの解説ぶりを対比するのも面白い。
貴乃花に敗れるたびに花道にサガリを叩きつけていた熱血漢の寺尾(錣山親方)は、かなり飄々としていてユーモアたっぷり。塩まきパフォーマンスが豪快だった水戸泉(錦戸親方)は、聞き取れないほど小さな声で物を言う。土俵でのイメージそのままなのは貴闘力(大嶽親方)や琴錦(竹縄親方)で、気っぷのいい爽やかな話し方をする。
ちばん研究熱心な解説者は間違いなく舞の海だ。『技のデパート』と異名をとった技巧派だけあって、舞の海は目の付けどころが緻密でよく見ている。大雑把な表現を、まずしない。例えば...
「体がひと回り大きくなった」とは言わず
「首から肩にかけてと、太モモの裏側の筋肉が発達してきた」と言う。
「出足が悪い」とは言わず
「頭から行こうとして、つま先を出すのを忘れている」とも言う。
わかりにくい差し手争いや、地味なおっつけ合いも、舞の海にかかれば手に汗握る攻防の応酬に様変わりする。すなわち...
「あと3センチ頭を低くしてぶつかるべきだった」とか
「小指からマワシを取りにいったのでうまくいった」などと言う。
小兵のハンディを克服すべく培った分析眼が、解説者になってからも生きている。
ラックスして相撲観戦を楽しみたいなら、なんといっても北の富士がいい。およそNHK的な配慮をせず好きなことを言う。例えばアナウンサーがある力士を褒めようとしても、北の富士自身がそう思っていなければ話を合わせない。例えば...
アナ「高見盛はメキメキと力を付けていますね」
北富「稽古場では呆れるぐらい弱いんだけどなあ」
アナ「次の横綱はやはり魁皇が最有力でしょう」
北富「稽古しないからね。このままだと大関で終わるよ」
当り障りのない優等生的な発言が多い中、親方を辞めて協会から身を引いた北の富士だから言えるセリフかもしれない。それが当たっているかどうかはともかく、聞いていて小気味良い。ビールを飲みながら観戦する時など、いい酒の肴になる。
まらない解説者もいる。さんざん語り尽くされ、誰でも知っているようなことしか言わない解説者だ。引退した貴ノ浪を「懐が深い」と褒めたり「脇が甘い」と非難する解説にはうんざりしたものだ。
四ツ相撲の力士が勝つと「自分の相撲に徹している」と言い、負けると「マワシにこだわりすぎる」と言うのなら私にもできる。闘牙が負けるのは「引いたから」で、霜鳥は「腰が高いから」で、土佐ノ海は「頭が低すぎ」で、玉乃島は「左が取れなかったから」。そのていどなら言われなくても解っている。先場所も、1年前も、5年前もそのセリフを聞かされてきたからだ。よくも飽きずに同じことを繰り返し言えるものだと呆れてしまう。
いやしくも全国放送で解説するのだから、少しは工夫してほしい。闘牙は勝ったときも負けたときもその原因は「引いたから」だ。だとすれば、なぜ引き技が決まらなかったのか、舞の海のように解説してほしい。霜鳥は足が長いからいつでも「腰高」になる。いっそ北の富士のように「現代っ子はマワシが似合わないねえ」と笑わせてくれたほうがよっぽど楽しい。
(2004/06/01)

17.再起せよ栃東

東の相撲は美しい。体は決して大きくないが、技術がそれを補って余りある。巧みなおっつけは相手のかいなを宙に漂わせ、華麗に円を描く足さばきは相手の突進力を分散させる。テコの原理や遠心力といった運動力学が、栃東の相撲の随所に息づいている。
「ワザ師」と言えば、私は若乃花と舞の海を思い浮かべる。彼らと栃東の「ワザ師」ぶりは全く異なる。強靭な足腰から起死回生の大技を繰り出した若乃花の相撲は、見るからに力強く華麗であった。相手を研究し尽くし、心理面まで読んで相手の意表をつく舞の海の相撲は、他者にはマネのできない変則的なものであった。その点、栃東はあくまでも四ツ相撲の正攻法。逆転技や変化技でなく真っ向勝負を挑む。その技巧が放つ「いぶし銀」の輝きが、私を魅了してやまない。
んな栃東が、あろうことか大関を陥落。今場所は、平成13年九州場所以来の関脇の地位で相撲を取る。過去2場所を休場したものの、依然として右肩の状態は悪い。それどころか右肩をかばうあまり左肩も故障し、内臓まで壊してしまった。手術をすれば、完治するまで早くて半年。手術したからといって完治する保証もない。だから栃東は手術をせず、故障をなだめながら土俵に立つ道を選んだ。
今場所を目前にして、栃東は「かいなを返すと痛みが走るので、できるだけ使わないようにする」とコメントした。これは栃東の生命線である左おっつけの封印を意味する。左を使えぬまま土俵に上って相撲になるだろうか。

世力士として注目を浴び、若くして出世街道を駆け上がった栃東が、いま絶体絶命の窮地に立たされている。あれだけ理詰めの相撲を構築していた栃東の技巧も、満身創痍の体では十分に発揮されない。
今場所10勝以上すれば大関返り咲きが叶うわけだが、今の栃東にとっては高い高いハードルだ。対戦相手は先場所とほぼ変わらないにも関わらず、栃東の体調は、稽古量が少ないぶん先場所より落ちる。ましてや猛暑の名古屋。稽古不足によるスタミナ切れが大いに懸念される。とにかく、ケガを治す時間がない。公傷制度の無くなった今、大関の地位を取り戻そうと思ったら、ケガを押して強硬出場するか、もしくは幕内下位まで落ちるのを覚悟でじっくり療養するしかない。栃東は前者の道を選択した。
が私は栃東の「血」に一縷の望みを託している。親譲りの技巧派の遺伝子が、さらなる覚醒を果たすのではないか、と。さらに言えば、師匠栃東のそのまた師匠は、究極の技巧派・栃錦だ。あるいは明大中野という系列で言えば、若貴兄弟の相撲をも受け継いでいる。それら多くの偉大なる先人の土台の上に、栃東の相撲が築き上げられてきた。
ここで終わるような男ではない!と信じたい。このさい大関復帰はいつでもいい。復帰しなくてもいい。一相撲ファンとしては、もういちど由緒正しい正攻法の技能相撲を見せてほしいものだ。春場所2日目以来の土俵復帰。栃東の奮闘ぶりに注目されたい。
(2004/07/01)

18.「死に体」は死んだ

ールドファンなら誰もが知っている名勝負がある。舞台は昭和47年初場所。横綱北の富士と、新鋭貴ノ花の大一番だ。両マワシをつかみ万全の体勢で土俵際へ寄る北の富士を、貴ノ花が驚異の粘り腰でうっちゃり。北の富士の体が先に地面に着いたのは誰の目にも明らかだった。しかし軍配は北の富士へ。貴ノ花の体が死んでいた、つまり「死に体(しにたい)」とみなされたからだ。
足が土俵を割ったり、体の一部が地面に着いていなくても、体そのものが挽回不可能なほど完全に倒れつつあれば、それは「死に体」として負けとみなされる。しかし一方では、最後の最後まで勝負を諦めずに粘る相撲もある。貴ノ花はそれで幾多の勝利をつかんできたし、その息子の貴乃花や若乃花は、最後まで手を着かず「顔から落ちる」相撲で横綱まで上りつめた。死に体と粘り腰の区別はきわめて曖昧だ。
場所中日の結びの一番は荒れた。それまで全勝で来ていた朝青龍が、琴ノ若の上手投げで裏返しにされた。このとき朝青龍はブリッジの体勢でこらえながら、琴ノ若のマワシを最後まで放さなかった。一方、「すでに朝青龍は死に体」と判断した琴ノ若は、横綱の上に倒れては危ないので手を着いた。その手が、朝青龍が落ちるより一瞬早く地面に着いた。
物言いがつき、3分を越える審議の末に「取り直し」。再戦は朝青龍の圧勝に終わった。取り組み後のインタビューで琴ノ若は「あれは『かばい手』だった。はっきり勝負がついていたから手をついたまで。あのまま横綱の上に倒れこんでいってもよかったのだ。こんなことなら『死に体』なんて制度は無くしたほうがいい」と語った。
ノ花こと二子山親方はこう語る。
「私はブリッジの体勢で頭が地面に着くほど反りながら、また起き上がることができた。だから着地寸前まで反り返っても、私の場合は死に体ではなかったのだ。つまり個人差がある。体が硬くて、ちょっと反っただけでも残れない人もいるのだから」と。
つまるところ死に体とは、状況や体勢あるいは体の角度ではなく、「誰が残そうとしているか」が見極めのポイントということになる。朝青龍=琴ノ若戦に関して言えば、足腰の強い朝青龍だから死に体にならなかったと言える。
それでいいのだろうか。足腰の強い力士と、体の硬い力士で判定が変わってくるということがあっていいのだろうか。行司や審判は、それぞれの力士がどれだけ足腰が強くて体が柔らかいかを把握しているのだろうか。「こんな制度なら無くしたほうがいい」と言った琴ノ若のコメントは、決して敗者の捨てゼリフではなく、今後の勝負の見極めに関わる重要な問題提起だったと思う。
れから3日後の11日目、琴ノ若は玉乃島と対戦。琴ノ若に左上手を取られた玉乃島は、浴びせ倒しで敗れた。玉乃島が崩れていくとき、琴ノ若は朝青龍戦と同じように手を着いて玉乃島の体をかばった。玉乃島は取り組み後「琴ノ若関が手をついてくれなかったら大ケガをしていただろう」と、その気づかいに感謝していた。
まったく、琴ノ若という男は根っからのお人よしだ。
(2004/08/01)

19.年寄名跡の代価

本相撲協会は105の年寄名跡(みょうせき)を認めている。だから親方が105人存在する。実際には大鵬、北の湖、貴乃花のように、現役時代の実績が抜きん出ている横綱が「一代年寄」を襲名しているが、本人が定年を迎えれば消滅。代々継承される名跡ではない。
寄名跡は誰でも継承できるものではない。現役を引退して親方になるためには、少なくとも次の3条件を満たさなければならない。すなわち.....
条件1、幕内通算20場所以上務めていること
または三役を1場所以上か十両以上で30場所以上務めていること
条件2、名跡の保有者(先代)が継承を認めていること
条件3、名跡を取得するための蓄え(資金力)があること
つまり関取としてある一定以上の実績を残し、名跡を譲ってくれる親方を見つけ、なおかつそれ相応のお金を払わなければ親方になれないのだ。このため現役時代に大活躍した人気力士でも親方になれなかったり、幕内に上がった経験が皆無でも親方になる例がある。
日、この年寄名跡の継承を巡ってある裁判が結審した。原告は先代の立浪親方(もと関脇・羽黒山)、被告は現在の立浪親方(もと小結・旭豊)。羽黒山は、愛娘と結婚した旭豊にほぼ無償で立浪の名跡を譲った。ところが二人はやがて離婚。それを理由に羽黒山は旭豊に名跡の代金を請求した。
一審の東京地裁は羽黒山の勝訴。旭豊は全額の支払いを命じられた。それを不服として今度は旭豊が控訴し、東京高裁で逆転勝訴。さらに羽黒山も上告して応戦したが、最高裁が請求を棄却したため敗訴が確定した。つまり旭豊は羽黒山に金を払わなくとも良くなった。
ちなみにこの時の東京地裁の判決により、現在の名跡取得にかかる費用が判った。旭豊に課せられた額は実に1億7500万円!若貴全盛のバブル期には2億とも3億とも言われたが、今なお名跡の相場は決して安くはない。俗に年寄名跡のことを「親方株」と言うのは、その資産的価値によるものだ。
つて年寄名跡は師匠から弟子に、たいていは一番の出世頭に、無償で譲渡された。その代り名跡を継承した者は、先代とその家族を部屋に(あるいは離れに)住まわせて一生面倒を見てやったものである。たとえ先代が亡くなっても、その娘を嫁がせ、妻(おかみさん)の最期をみとってやるのが一般的だった。変な言い方になってしまうが、先代とおかみさんが亡くなって初めて、弟子は師匠の呪縛から解放されたのだ。
現在のように、名跡の譲渡に金銭のやり取りが伴なうようになると、そういうしがらみもいっさい無くなる。大金を払う代償として、弟子は師匠という「目の上のタンコブ」を取り除き、自由を手にする。合理的といえば合理的、味気ないといえば味気ない時代になったものだ。
(2004/09/01)

20.大横綱は嫌われ者?

常事態である。
千田川親方(もと関脇・安芸乃島)が高田川部屋に移籍することになった。他のスポーツであれば何でもない出来事で終わってしまうが、こと相撲界ではきわめて異例だ。
引退して年寄名跡(としよりみょうせき)を襲名した力士は、晴れて「親方」を名乗ることができる。このうち自分で部屋を興し経営を行うのが「部屋持ち親方」。自分の部屋を持たず、どこかの部屋に所属するのが「部屋付き親方」だ。一般に、現役を引退してすぐ部屋を興す親方は少ない。部屋を作るための資金が無いし、たとえ部屋が作れたとしても、弟子がいない。まずは「部屋付き親方」として協会の仕事をおぼえながら、お金と弟子が集まってきてから独立するのが常だ。
定年まで「部屋付き親方」で通す者も珍しくない。リスクを冒してまで部屋経営に乗る出す意欲がなかったり、出羽海部屋のように分家独立を歓迎しない気風の一門もあるからだ。
て千田川である。
千田川は引退後、貴乃花部屋の「部屋付き親方」になった。もともとの師匠は二子山親方(もと大関・貴ノ花)だが、実子の貴乃花親方(もと横綱・貴乃花)に部屋を譲り、名称も貴乃花部屋に変わった。だから千田川が貴乃花部屋に所属するのは至極順当だ。
しかし、千田川は間もなく高田川部屋へ移籍。同じ「二所一門」ではなく、他系列の「高砂一門」への高飛びだ。しかも高田川は高砂の中でも異端児的な存在。協会の役員選挙では、必ずしも同門の推す親方に投票しない。そういう一匹狼の高田川のもとへ、角界の大功労者・安芸乃島が走らなければならない理由がどこにあろう。
千田川の移籍の奇妙さはそれだけに留まらない。本来なら所属する貴乃花の承諾を得なければならないところを、二子山の承認のみで移ってしまった。それを受理した協会の意向も解せない。二子山を「後見人」として認め、貴乃花のハンコをむらわぬまま移籍を承認しているのだから。これでは栄誉の「一代年寄」の立つ瀬がない。
千田川は、なぜ同門の部屋へ(たとえば盟友・貴闘力のいる大嶽部屋へ)移らなかったのだろう。なぜ異端児・前の山の高田川を移籍先に選んだのだろう。なぜ二子山は千田川の移籍に同調したのだろう。そして、なぜ協会はそれを受けたのだろう。
下は邪推である。
もしかすると貴乃花はきわめて人望の薄い人物なのかもしれない。もっとはっきり言えば、嫌われ者だったのではないだろうか。それも、父親であり師匠でもある二子山が「しょうがないな」と思えるほどの。
千田川はこれ以上貴乃花部屋にいることに我慢できず、親方業から足を洗うか、ひんしゅくを買うのを承知で他所へ移るしかなかったのではないだろうか。そう仮定すると、いろいろな疑問が一気に解ける。貴闘力はじめ同門の「部屋持ち親方」たちは、千田川が自分の所に転がり込んでくることを歓迎しなかったと考えられる。名門の親方だって、系列を無視して移籍しようなどという者を引き受けたくはないだろう。だが、高田川ならそんなことを気にしまい。不合理なしきたりや因習には目もくれない人物だ。千田川は、べつに高田川を師事したわけでなく、高田川しか自分を受け入れる部屋がなかったから、そこに身をよせたのではあるまいか。
下も邪推である。
「貴乃花は嫌われ者」という仮定にそっくりなケースがある。千代の富士こと九重親方だ。千代の富士が先代(もと横綱・北の富士)から部屋を譲り受けたとき、九重の部屋付き親方たちはこぞって北勝海の八角部屋へ移籍した。しまいには師匠の北の富士までが、本家の九重を飛び出す始末。よっぽど九重部屋の居心地が悪かったのだろうか。
言うまでもなく千代の富士は「昭和の大横綱」。そして貴乃花は「平成の大横綱」だ。角界を代表する金看板の二人が興した部屋は、弟子も集めやすく、マスコミやファンの注目も浴びやすい。「部屋付き親方」も、本来なら地味な部屋に所属するよりは、色々な面でメリットがあることだろう。それにも関わらず「部屋付き親方」たちは、ことごとく分家へと退散してしまった。土俵上での技能は、かならずしも人望とはシンクロしないということなのだろうか。
(2004/10/01)

21.なるか横綱!魁皇の正念場

場所一番の話題は、何と言っても魁皇の横綱昇進が成るかどうかだ。
日本相撲協会の規定により、2場所続けて優勝(またはそれに準じる成績)をおさめた大関は横綱に昇進できる。だから優勝した大関は、次の場所が自動的に「綱取り場所」となる。だが今場所の魁皇に対しては、そんな通りいっぺんの期待感ではおさまらない。魁皇のファンはもとより、九州の人たち、さらには日本国民の期待が一身に集まっているような感じだ。
皇のファンの興奮はおおよそ推測できる。柔道で鳴らした古賀少年は入門当初から注目された。その期待に応えて魁皇も順調に出世。二十歳で入幕し、入幕4場所目の新三役(小結)で勝ち越した時は、誰しも年内の大関昇進を疑わなかった。
だが、そこに大きな壁があった。平成6年から平成12年まで、魁皇は三役から先に進めぬまま7年間を過ごした。その間39場所で、三役を実に33場所も務めている。
ようやく大関になってからも一進一退が続いた。4年以上もの間、大関から陥落することも横綱に上がるこもなく今日に至っている。優勝すること5回。大関になってからは4回優勝し、必然的に横綱昇進のチャンスを4回逃したことになる。
かつて5回も優勝して横綱になれなかった力士がいただろうか(5回も優勝していない横綱ならたくさんいる)。力は十分にある。だからこそ、魁皇を横綱にしたいというファンの気持ちは痛いほどよく解る。
州出身の横綱は、昭和40年に昇進した佐田の山以来、30年以上も誕生していない。歴代横綱でも双葉山と朝潮と合わせて3人しかいない。どこよりも熱狂的な九州の相撲ファンとしては「地元の横綱」を誕生させる千載一遇のチャンスだ。
福岡出身だということも見逃せない。大分でも長崎でもなく、ばりばりの「地元っ子」だ。福岡出身の力士はあまりいない。平成に入ってからの幕内力士は、魁皇以外では貴ノ嶺と栃乃藤のみ。いずれも前頭2ケタ代に終わった地味な力士だ。
ひさびさの大関、それも、ひさびさの福岡出身が、よりにもよって九州場所で悲願にかけるのだから、これ以上の舞台はない。九州の人たちの盛り上がりようが目に浮かぶ。
本の国民も、総じて魁皇を応援していることだろう。平成15年初場所で貴乃花が引退して以降、国技・相撲の頂点は武蔵丸や朝青龍という外国人が占めてき。これに対抗する日本人横綱の出現を、全国の相撲ファンが待望している。その頼みの綱が魁皇なのだ。
これまでと同様、魁皇の体調は万全ではない。持病の腰痛は、辛うじて小康状態を保っているに過ぎない。魁皇の言葉にもあまり意気込みが感じられない。綱取りにかける熱意も、ライバルを威嚇する言葉も発しない。闘志を内に秘め、5回目の綱取り場所を、静かに平常心で迎えようとしている。
(2004/11/01)

22.双羽黒(ふたはぐろ)症候群

青龍で68人を数える歴代横綱の中にあって、第60代横綱の双羽黒は異彩を放つ。この横綱だけは一度も優勝していない。「引退」もしていない。
横綱になるための条件は、まずその力士が大関であること。次に「2場所続けて優勝もしくはそれに準じる成績」をあげること。双羽黒は「優勝に準じる成績」を2場所続けることによって横綱に昇進した。昇進時の年齢は23歳。まだまだこれから円熟味を増す年齢。体格に恵まれ、スケールの大きな相撲を取る双羽黒は、横綱に昇進してから何度も優勝するように思えた。将来性あふれる若者だったからこそ、横審(横綱審議委員会)や日本相撲協会も、破格の昇進を認めたと言えよう。
ところが横綱になってわずか2年で、双羽黒は「廃業」する。あろうことか最後はおかみさんを殴って部屋を飛び出してしまった。双羽黒の失踪事件は、横審や相撲協会に大きなショックを与えた。あれから17年。双羽黒症候群は、角界のトラウマのようになっている。
羽黒が優等生的に現役をまっとうしていれば、その後の力士の扱いもずいぶん変わっていたのではないだろうか。例えば旭富士や貴乃花はもっと早く横綱になっていたかもしれない。小錦も横綱になっていたかもしれない。
双羽黒に懲りた横審は、横綱へ推挙するのに慎重になった。少しでも成績に不満があれば先送り。相撲協会もそれを容認した。そういう意味では、双羽黒以降に横綱になった力士たちは、文句なしの実績をひっさげて昇進している。優勝経験のない横綱は皆無。「廃業」で終わった横綱も、もちろんいない。
綱昇進が叶わなかったものの、魁皇は引き続き今場所も昇進にチャンスを残している。秋場所で優勝。続く先場所は、優勝した朝青龍に次ぐ12勝をあげ、朝青龍との直接対決にも勝った。昇進してもおかしくない。それを横審は「もう1場所ようすを見たい」とした。
横審の主張は、理論的には矛盾する。いったい先場所は「優勝もしくはそれに準じる成績」だったのか否か。もしそうなら昇進させなければならない。そうでないのなら、魁皇は一から出直さなければならない。横審の矛盾は、苦肉の策だったことだろう。それに至った経緯は、双羽黒と無関係ではあるまい。
皇とすれば「どっちでもいいから、はっきりしてくれ」と言いたい気分かもしれない。曖昧な裁量によって、プレッシャーと戦う日々が延長されたわけだ。だが、辛く長いトンネルだからこそ、それを脱け出す意義は大きい。魁皇の人格を、よりいっそう高めることにも繋がる。昇進の成否にかかわらず、魁皇は人の痛みや苦しみを理解する度量の大きな親方になるに違いない。
やがて初場所が始まる。初場所も魁皇の相撲に一喜一憂しながら楽しもうではないか。
(2004/12/01)

23.苦節13年
藤君を初めて見たのは今から13年前。中学卒業と同時に尾車部屋への入門を決め、上京する前に、本社(東奥商事)へ挨拶に来てくれたのだ。まだボウズ頭の中学生。目もとが凛として精悍な雰囲気はあったが、体は決して大きくない。体格に惚れこんで親方がスカウトしたのでなく、自ら弟子入りを志願したものだ。
やがて佐藤君には「舞風(まいかぜ)」という素敵なシコ名が付けられた。師匠の現役時代のシコ名「琴風」から「風」の1字をもらい、番付が舞い上がるようにとの願いが込められた。しかし舞風の番付は、シコ名のように舞い上がらなかった。幾度もケガに見舞われ、三段目から幕下あたりを行ったり来たり。そうやって、13年という途方もない年月が経った。
年の夏場所、舞風は幕下筆頭まで上がった。3勝3敗で迎えた千秋楽、十両の大翔大に敗れて負け越し。地元・十和田市出身の力士ということで、私の応援にも力が入っただけに、負け越しが決まった瞬間は「舞風もここまでか」という思いが頭をかすめた。
しかし舞風の闘志は消えなかった。その後3場所かけて、ついに十両昇進を決めたのだ。28歳での重量昇進は史上11番目のスロー出世。奇しくも師匠である大関琴風が引退したのと同じ年齢で、舞風は遅咲きの華を咲かせてくれた。
日、舞風の「十両昇進祝賀激励会」が十和田市で行われた。大銀杏に紋付・袴・羽織を着た舞風関の晴れ姿は、見違えるばかりに立派だった。すでに化粧回しもできあがっており、馬のまち十和田市に因んで、八甲田山のふもとを2頭の馬が駈けているという図案だった。
恩師のスピーチが印象深い。中学3年の佐藤君は、卒業文集の寄せ書きに 「夢=努力」 という言葉を書き残したという。いかにも舞風らしい。その後彼を待ち受ける相撲人生を暗示するかのような言葉に胸を打たれた。
普通なら3年、5年で見切りをつける。10年経っても芽が出なかったとき、彼は何を考え、周囲は何を言ったことだろう。それでも挫けず、13年目で到達した「夢」だ。その感慨たるや、本人ならずば分かるまい。
風は首に爆弾を抱えている。頚椎ヘルニアで、一歩間違えば半身不随。命も失いかねない部分だ。そのため彼本来の「頭からぶつかる相撲」は長らく封印されてきた。
夏場所後、幕下筆頭で負け越した舞風はこの封印を解いた。「このままで終わりたくない」という一念が、彼を阿修羅に変えた。首のダメージを省みず、身を削る苦闘を続けた。その決断が正しかったのか、正しくなかったのかは分からない。ただ、彼を関取の座へと導いたことだけは確かだ。
晴れて郷土へ凱旋した舞風を、青森県知事や十和田市長、母校の校長といった地元名士が暖かく迎えた。激励会にも500人の後援者が集まり、その模様は地元のテレビや新聞で大きく報じられた。激励会で挨拶する舞風の姿を、付き人がしきりにカメラで撮っていた。「実力が全て」の相撲界を、その好対照な二人の力士が象徴していた。
(2005/01/01)
24.力士の正月

末年始の相撲部屋は慌ただしい。一般家庭と同様に大掃除を行い、恩人知人へ出す年賀状の枚数もハンパじゃない。部屋や一門によっては餅つきをやったり、稽古場にしめ縄や御幣を飾ったり、元旦から初詣出や挨拶回りに出かけ、あるいは挨拶回りにやってきた人々を迎え、チャンコも普段とは趣向を変えた「おせち料理」系のものを作る。そんなこんなで親方も力士も、おかみさんも、部屋のありとあらゆる人間が忙殺される。
からといって稽古を休むわけにもいかない。初場所の初日に調子のピークを持っていこうと思ったら、暮れの最終週から「松の内」にかけて、いちばん体をいじめておく必要がある。力士たちは元旦こそ稽古を免除されるが、2日の朝ともなれば普段通り稽古をしている。稽古をしなくていい元旦でさえ、稽古場でシコやテッポウに汗を流す若い衆もいる。今年の初場所初日は1月8日だったから、元旦の1週間後が初日。のんびり正月気分に浸った力士など誰もいないことだろう。
年に6場所、奇数月のたびに本場所が行われる。本場所のない偶数月は地方巡業がある。たった1つ、この2月を除いては。
2月は、まるまる一と月を部屋で過ごせる。そういう意味では、力士が最もリラックスできる月だ。住み慣れた部屋で過ごしながら、稽古に専念して英気を養うことができる。稽古が終わった後は趣味に没頭したり、飲み食いに出かけたり。パチンコ屋や競馬場でチョンマゲ姿の大男をよく見かけるのも2月だ。だから角界では昔から「本当の正月は初場所が終わってから」と言われている。
障箇所を治したり、古傷を癒したりできるのも、この時期しかない。現在のように「公傷」制度が撤廃されてからは、力士はケガを押して土俵に上がり続けることを余儀なくされている。まるっきり歩けないとか立てないという重症でない限り、全休して大きく番付を下げるよりは、ダメモトで出場して一つでも星を稼いでおいたほうがいい。そんな力士たちがいっせいに病院やリハビリ施設に出かけるのも2月特有の現象だろう。
ケガがしにくくなる方法が2つある。1つは相撲を取らないこと。これは現役力士にとっては引退もしくは廃業を意味するから問題外。もう1つは、体を鍛え、充分に調整すること。骨や腱を「筋肉」というヨロイで固め、その上から「脂肪」というクッションで覆ってしまえば、自ずとケガはしにくくなる。そのためにはよく稽古し、よく食べ、よく休むこと。けっきょく2月は人一倍稽古に励むべき月でもあった。
(2005/02/01)

25.有望力士に危険信号

もなく春場所が始まる。朝青龍の力が抜きん出ている昨今、優勝の行方を云々する興味は薄い。もっとも関心を集めそうなのは、むしろ気鋭の若手、白鵬だろう。
白鵬は昨年夏場所に入幕して以後、5場所全てに勝ち越し。うち2場所で11勝、2場所で12勝をあげている。三賞も3回受賞。一気に関脇まで駆け上がり、次期大関の最有力候補に躍り出た。しかもまだ19歳。これからますます稽古を積み、体を作り、技を磨いていけば、まだまだ強くなる。春場所の9点枠は、間違いなく白鵬が一番人気に選ばれるだろう。
かしながら私は、今場所の白鵬に危うさを感じている。宮城野部屋付きの熊ヶ谷親方が手放しで褒めないのがその理由だ。
白鵬の稽古は、その質と量ともに「緩み」が出てきた。かつては強い相手を求めて積極的に出稽古をしていたものが、最近はほとんど部屋での稽古しかやらないらしい。宮城野部屋は力士が10人しかいない小部屋。関取は、他に光法しかいない。部屋に閉じこもって若い衆(といってもほとんどが年上)に胸を出すのは気持ち良かろうが、白鵬自身の稽古相手としては、とうてい十分だとは思えない。
白鵬の「緩み」現象は他にもある。稽古を早めに切り上げることが多くなったという。夜更かしして寝坊してしまい、稽古場に現れないこともあったという。横審の稽古総見では北の湖理事が「もっとガンガンやってくれるものと期待していた」と、落胆のコメントを残した。白鵬の「緩み」は、もはや隠しようがないところまで来ている。
ンゴルの物価は、日本の約「7分の1」だという。三役に上がったうえ、勝つたびに懸賞金や金星、三賞といった臨時収入を稼ぎまくってきた白鵬にとって、今の収入は夢のような話だろう。
部屋に戻れば部屋頭としてタニマチの接待を受け、自分より年上の弟子たちをアゴで使う身分。ファンやマスコミにもちやほやされる。白鵬は若いだけに、そういった「甘い汁」の落とし穴にはまってしまったような気がする。
一方で、白鵬に煮え湯を飲まされたライバル力士たちは、汚名返上に心血を注いでいる。白鵬の取り口を研究し、死に物狂いで稽古し、万全の対策を立ててくることだろう。白鵬危うし!私ならそう考える。
の予感がいつも当たるとは限らない。例えば朝青龍も、今の白鵬と同様の理由から、いつかかならず高くなった鼻をへし折られるだろうと思った。ところが朝青龍は、いつかシッペ返しを喰らうどころか、どんどん強くなっていく。今や敵なし、というのが現実だ。
白鵬は、そんな朝青龍の三役時より、さらに勢いがある。もしかすると大方の予想するように、このまま一気に大関へと駆け上がってしまうのかもしれない。だが、私はあえて警鐘を鳴らそう。いい話が全く聞こえてこない。耳に入ってくるのは悪い兆候ばかりだ。今場所の白鵬にはあまり期待しすぎないよう警告する。
(2005/03/01)

26.にらめない日本人

撲中継の合間に古い映像が紹介された。戦後の第一次相撲ブーム「栃若時代」の両雄、栃錦と若乃花の取り組みだった。両者が仕切り線に手を置いただけで場内は割れんばかりの拍手喝采。今どき、仕切りだけでこれだけ盛り上がることはない。見ている私もワクワクした。
たかが仕切りで、なぜかくも観衆は熱狂するのか。それは両者の闘志が火花を散らしているのが伝わってくるからだ。両者のにらみ合いは、それほどに殺気立っていた。
の後テレビの画面は現在の取り組みに戻った。栃若の直後に見た現役力士の仕切りは、情けないほど迫力不足だった。弱々しい「かしわ手」はいかにもおざなりで、単にそうする決まりだからやっているという感じ。土俵の邪気を祓うどころか、あれでは蚊も殺せまい。
仕切りで相手をにらみつける力士も殆どいない。相手を「見つめて」いればまだいいほうだ。伏せ目がちで、相手の目を見ようとしない力士も多い。かつて舞の海は、自分の考えていることを相手に悟られまいとして目を合わせなかったと言う。それはいい。幕内で最も身長が低く、最も体重の軽かった舞の海なら許そう。だが、その他のごく一般的な力士たちが仕切りでのにらみ合いを避ける理由はない。
てを一般化するつもりはないが、外国人力士は例外なく相手をにらむ。朝青龍に至っては、これから殴り合いのケンカでも始めそうな勢いで相手を見据え、仕切りを終えて立ち上がってもなおその視線を相手から離さない。品格があると言えないかもしれないが、迫力はある。これから闘いを挑もうとしている力士の表情はかくあるべきだと思う。
私は、にらまない力士を「闘志を内に秘めるタイプ」などと擁護しない。相撲は格闘技であり、大相撲は見世物興行だ。たとえパフォーマンスであっても、力士はにらみ合うべきだ。魁皇の勝負弱さ、栃東のもろさ、若の里の淡白さも、ひょっとしたら相手をにらめない心理状態が影響しているのではないだろうか。
さんはお気付きだろうか?千代大海も相手をにらまなくなっているのを。私は先場所それに気づき、がく然とした。体も技も「平均点」の千代大海が大関になれたのは、その気迫によるところが大きい。ギラギラとした視線で相手をにらみつけるところが、この男の最大の魅力であり強さだったはずだ。それが今は見る影もない。これでは横綱を狙うどころか、大関を維持することさえ窮するわけだ。
幕内でいちばん情けない仕切りをするのは雅山だ。とにかく相手と動きを合わせようとしない。相手が仕切る前にしゃがみ、相手がしゃがんだ時にはもう立っている。目を合わせないどころか、体さえ対峙させることができない。無骨な風貌と体格を持ちながら、態度だけコソコソとしていては、いよいよ卑屈に見える。どうにかならないものだろうか。
(2005/04/01)

27.番付予想の難しさ

相撲星取クイズの予想番付を作るようになって、もう10年以上になる。もっと予想を当てたいのだが、いっこうに当たらない。全力士の番付がぴったり当たらなくとも、せめて幕内力士42人の顔ぶれだけは外さないよう努めているが、これだけでも至難の業。先場所も石出の入幕を予想できなかった。
本番付が発表されるたびに、先場所の星取表と予想番付を照らし合わせて分析する。だが番付編成の傾向を読むのは容易でない。むしろ、番付編成には一定の基準などなく、行き当たりばったりで決めているようにさえ思える。前述の「石出の入幕」も、いまだに納得できない。十両4枚目で9勝の石出が、十両2枚目で8勝の北桜を抜いて入幕するのはおかしい。
付編成の基本は勝ち負けの差。勝ち数が1つ多ければ(つまり8勝7敗なら)番付が1枚上がる。3つ多ければ(9勝6敗なら)3枚。負け越した場合も同様に、星1つにつき番付1枚下がる。ただし、これだけでは同じ番付に複数の力士が該当することもあるので、その場合は前場所で上位だった力士が優遇される傾向がある。「傾向がある」と述べたのは、そうでない場合もあるからで、判断基準は曖昧だ。
勝ち越した力士は番付が上り、負け越した力士は下がる。これは間違いない。だから上に来る力士がいなければ、勝ち越した力士はどこまでも上る。8勝7敗で5~6枚上ってしまうこともある。これを占うのは比較的簡単だ。問題は下がる力士で、その加減が難しい。上位力士、特に三役は優遇される。最近で最も極端な例は、前頭4枚目で2勝13敗だった旭鷲山が、翌場所10枚目と6枚しか落ちなかったことがある。
も判断に困るのは休場力士だ。勝ち負けの差だけ下がるとすれば、15枚下がりそうなものだが、実際は編成委員の思惑が働いているとしか思えぬほど規則性がない。
大きく負け越すほど、翌場所の予測も難しくなる。全休されたら、もうフタを空けてみなければ全く分からない。関脇で全休した琴光喜は翌場所6枚目に留まった。それより1枚低い小結で全休した出島は10枚目まで下がった。さらに、それより1枚低い筆頭で0勝3敗12休だった武雄山は12枚目へ下がっている。誰だったか忘れたが、かつて2枚目で全休した力士が、一気に十両まで落ちたこともある。
ように「むちゃくちゃ」な番付編成だが、各一門を代表する複数の委員(親方)が頭を寄せ合って決めている。えこひいきや特例が安易にできるとは思えない。番付を考える側にしてみれば、ちゃんと筋の通った正当な理由をもって、番付を決定しているはずだ。
それを、私は見抜きたい。番付を予想するのは、星取クイズの力士を選ぶことと同じぐらい難しいが、同じくらい面白い。病みつきになる。ぜひ皆さんも挑戦してみてほしい。
(2005/05/01)

28.美しくもはかない電車道

島の相撲ほど溜飲の下がる勝ちっぷりはない。立ち合いから一直線に相手を押し出す相撲は、俗に「電車道」と呼ばれる。所要時間1秒。体重があって、体に幅があって、なおかつ瞬発力がある力士だけが発揮できる「電車道」は、見ていて最も気持ちのいい勝ち方だと思う。
だが今の時代、出島のような相撲を取る力士は少ない。一瞬の勝負は、変化技に弱いという点でもろく、ケガの危険性を常にはらむ。相撲を長く取り続けるのが難しいし、そのため出世することも、番付を維持することも厳しい。
「電車道」があまり見られなくなったことと、公傷制度の撤廃は無関係ではあるまい。公傷制度がなくなったために、力士はケガをしても休めなくなった。無理を承知で土俵に上がるため、ケガはますます深刻化する。当然、相撲内容も悪くなり、番付を下げる。挙句の果てには引退も早まるというわけだ。
一般に「四ツ相撲」より「押し相撲」のほうがケガをしやすいものだ。同じ「押し相撲」でも琴欧州や黒海のように、相手と距離をとって、長いリーチを生かして出て行く突き押し相撲ならまだいい。出島のように体ごと相手にぶつかっていく突貫相撲は、常にケガと背中合わせだ。相手に引かれたり、いなされたり、たぐられたり、とにかく突進が空を切った瞬間に、自らが危険にさらされる。
手を組み止めるモンゴル勢が活躍しているのは偶然ではない。あるいは手足の長いヨーロッパ人力士が台頭しているのは。彼らはケガをしにくい相撲を取っている。幕内レベルまでくると、単に相撲が強いだけでなく、ケガをせずコンディションを維持できる力士でなければ上がって来れないし、長く定着できないものだ。
歴代の横綱を振り返っても、双葉山、羽黒山、栃錦、(初代)若乃花、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花そして朝青龍…一時代を築いた大横綱はことごとく四ツ相撲。押し相撲で大成した横綱は皆無に等しい。
のせいか出島が見事な電車道で勝っても、私はそこはかとない哀愁を感じる。出島は通算白星や幕内在位といった数字を積み上げることをよしとしていない。ただひたすらに自分の相撲、ひいては自分の美学に徹している。そのはかなくも美しい武士道精神に、日本人特有のセンチメンタリズムをもって共感する。
出島は今の相撲を取り続ける限り、常にケガと背中合わせだ。二度と再び大関に返り咲けないのかもしれない。それでもなお電車道にこだわり続ける出島という力士の、頑迷なまでの相撲に、心からのエールを送ろうではないか。
(2005/06/01)

29.「若貴騒動」を考える

ここに至っては「若貴騒動」を論じぬわけにもゆくまい。兄弟の感情的なしこりについては、二人の人柄や事の真相を知らぬ私の関知するところではない。だが年寄名跡の存在意義や継承問題については一家言ある。
騒動の一部は名跡の継承問題に起因している。渦中の人物が若貴兄弟だから、マスコミもこぞって取り上げているが、こうしたトラブルは以前からたびたびあった。相撲界が抱えるいくつかの問題点が、若貴によって白日の下にさらされたに過ぎない。
ず名跡の資産的価値に言及したい。名跡は有価証券のたぐいではない。われわれ一般人にとっては全く効力のないもの、だが相撲界の中では億単位の価値があるものだ。
もともと名跡は売買の対象ではなく、親方から弟子に部屋を譲るにあたっての形式的な証文だった。事実、日本相撲協会は今もって名跡の売買を公式に認めていない。部屋が一つの家族であり、親方と弟子が親子であった古き良き時代の精神を尊重したいがためであろう。だが現実に行われている名跡売買に目をつぶり、それによって今回のような騒動をうやむやにしてきた弊害は否めない。
代若乃花こと元二子山親方が、大関貴ノ花こと故二子山親方に部屋を譲ったときは、その代価として3億円が支払われた(国税当局による追徴課税が行われたことにより、この金額が明るみになった)。
現立浪親方(もと小結・旭豊)が先代から部屋と名跡を引き継いだときは、旭豊が先代の娘婿だったこともあり無償だった。やがて先代の娘との離婚がきっかけで、先代は名跡譲渡に対する支払いを求めて訴訟を起こし、一審の東京地裁は旭豊に1億7500万円の支払いを命じた。2審の東京高裁では、事前の売買契約が行われなかったことが理由で、旭豊の支払い義務は無いという逆転判決が下ったが(最高裁も先代の上告を却下)、名跡の資産的価値は司法によって公然と認められたことになる。
き二子山親方がいかなる考えを持っていたのか、今となっては知る由もない。1年以上にわたる闘病生活のどこかで、名跡や財産についての意思を明確にしておかなかったことが、今の嘆かわしい状況をもたらしてしまった。一相撲ファンとしては、若貴兄弟の確執はどうあれ、名門二子山(現貴乃花)部屋と2人の横綱の栄光が、こんなスキャンダルで汚されてしまうのが何とも口惜しい。
協会が沈黙を保っていることに何より腹が立つ。この騒動を収められるのは日本相撲協会しかあるまい。今後は親方が定年を迎えたら協会が名跡を買い上げ、適任者に売り渡すのが好ましのではないだろうか。適任者の選択は、先代の直弟子を優先するとか、オークション形式にするとか、様々なやり方が考えられる。ともかく名跡の移動が白日の下にさらされない限り、こうした問題は今後も頻発するに違いない。北の湖理事長の英断に期待したい。
(2005/07/01)

30.座布団は何故に舞う

青龍が久しぶりに負けた。連勝記録は24でストップしたが、ファンにとっては3月場所の13日目以来、実に84日ぶりに見る朝青龍の敗戦であった。
先場所中日の結びの一番。琴欧州の豪快な上手投げに、無敵の横綱・朝青龍が頭から落ちた。立行司・木村庄之助の軍配が琴欧州に上がった瞬間、場内は割れんばかりの拍手喝采。同時に、大量の座布団が宙を舞った。
座布が舞うのは、大相撲独特の光景だ。毎日起きる現象ではなく、何らかの指示によって行われるものでもない。座布団が舞うタイミングは決まっていて、必ず「その日最後の取り組み」が終わった直後。しかも、大番狂わせなど何らかの劇的な決着がついた瞬間に限られる。
連勝街道をばく進していた朝青龍が、過去一度も負けたことのない琴欧州に敗れた…などという結末は、まさに座布団が舞うために作られたようなものだ。観客の心理は、若い「イケメン」力士である琴欧州に対する賞賛の気持ちがあったろう。ふてぶてしい横綱に対する腹いせもあったろう。誰かが示し合わせずとも、誰もが座布団を投げたくなる。その瞬間の高揚した気分を説明するのは難しい。
ロ野球では、そうした気分はあまり味わえない。私設応援団が最前列に陣取り、選手や状況に応じた応援方法を観客に強要しているからだ。あるいはラッキー7(7回裏の地元チームの攻撃)になると、巨大スクリーンを通じて観客に手拍子を求めるのが通例となっている。サッカー、バスケットボール、バレーボールなどでも、示し合わせた応援が行われている。
大相撲は違う。全ての声援や拍手は、自然発生的にわき起こる。横綱昇進に大手をかけた魁皇に「魁皇コール」が起きたこともあるが、それとて自然発生だ。それだけに興奮の度合いが違う。見ず知らずの観客同士が、一期一会の場で臨場感と一体感を共有しつつ体現する喝采。「座布団投げ」はその極致だ。
く言う私もその現場に居合わせたことがある。平成2年9月場所の9日目、私は「星取クイズで優勝者を出した道場主」さんを引率して両国国技館にいた。結びの一番は大関霧島と平幕栃乃和歌。栃乃和歌の寄り切りに大関が土俵を割った。直後、座布団が舞った。
奇しくも私たち一行はその日の朝、春日野部屋の朝稽古を見学していた。稽古後、栃乃和歌に頼んで記念写真におさまってもらった。その栃乃和歌があげた銀星なので、嬉しさもひとしお。やおら自分の座っていた座布団をフリスビーのようにくるくる回しながら、土俵に向かって投げつけた。自分より後方の座席から投げられた座布団が、どんどん足元に落ちてくる。今度はそれらを拾っては投げ、拾っては投げた。
「座布団を投げないでください」という場内放送が、「もっと座布団を投げろ」とあおっているように聞こえるのはなぜだろう?何より、なんで我々は座布団を投げなければならないのだろう?自分でもやっておきながら、その意味がいまだに解からない。
(2005/08/01)

31.当世外国力士事情

相撲秋場所の新弟子検査申請が締め切られた。入間川部屋からは、黒海の弟ジョルジ・ツァグリア・メラブ(18歳)が受検することになっている。同じグルジア人のジュゲリ・テイムラズ君(18歳)は木瀬部屋に所属が決まり、11月場所に受検する予定だ。この2人の角界入りをもって、しばらく外国人力士は誕生しそうにない。
日本相撲協会は外国人の角界入りを制限している。かつて外国人力士は「総枠40人。1部屋2人まで」とされていた。それが2002年2月の理事会で、総枠が取り払われ、「1部屋1人」に変更された。露鵬と白露山の兄弟が異なる部屋に所属しているのもそのためだ。外国人枠などない時代に入門した大島部屋(旭鷲山、旭天鵬)などには複数の外国人力士がいるため、現在の外国人力士数は59人。国籍は12カ国にものぼる。
国人力士を入れない部屋もある。伊勢ノ海、中村、峰崎、春日野の4部屋だ。「まず日本人力士を育てるのが先。私が親方の間は外国人を入門させない」と語るのは伊勢ノ海親方(もと関脇・藤ノ川)。北の湖理事長も「今後も外国人枠を広げる考えはない」と話している。
だが多くの部屋は、国籍がどこであれ、素質ある若者の入門は拒まない。弟子が活躍して番付を上げていけば、部屋の財政も潤うし、新たな弟子の獲得にも拍車がかかる。そして、自分の手で横綱や大関を誕生させたいという思いは、全ての師匠が持っている。ハングリー精神があり、体格にも恵まれた外国人力士なら、その夢を叶えてくれるかもしれない。たった1つの「外国人枠」使わない手はない。
場所(平成17年9月)の幕内力士42人中、外国人力士は12人を数える。4人に1人が外国人力士という状況だ。これが平幕上位から三役に集中している。優勝や三賞を獲得する確率も高い。頂点に君臨する唯一の横綱も外国人。もはや日本の国技・大相撲における日本人力士の存在感は風前の灯と言っていい。
日本人力士の弱体化、現代っ子のひ弱さを指摘する向きもあるが、私はそうは思わない。力士の枠を世界各国に広げた結果、それだけ多くの才能が集まって来たに過ぎない。ましてや各部屋ともたった一人しか入門できないとあっては、親方衆も選びに選びぬいた有望株をスカウトしている。彼らが活躍しないほうがおかしいと言うものだ。
本相撲協会は大相撲の海外普及に努めてきた。力士たちは「はだかの親善大使」として世界各国で公演を行ってきたし、世界選手権も毎年開催している。長野オリンピックでは各国のプラカードを持って入場行進もした。その甲斐あって、相撲の認知度は高まり、相撲を志す外国人も増えてきた。
相撲協会は、大相撲のあり方を今一度考える時期に来ている。国際スポーツとして広く外国人力士に門戸を開けるのか、日本人力士が活躍し続けられるように門戸を閉ざすか。現在のように、海外の相撲愛好者を増やす一方で、相撲部屋への入門を厳しく制限しているのでは、いったい何をしたいのか理解に苦しむ。
(2005/09/01)

32.茶色のテーピング

撲は体ひとつで行う格闘技。身に付けるのはマワシのみ。ケガや生傷が絶えないのも致し方あるまい。少しでもケガを防止するために、股割りで体を柔軟にしたり、四股で強い足腰やバランス感覚を養ってはいる。また最近はケガを予防したり、故障箇所を保護するためのテーピングもずいぶん普及している。
ひと昔と較べても、テーピングをして土俵に上がる力士がずいぶん増えたように思う。公傷制度が無くなり、ケガをして土俵を離れれば、どんどん番付が下がってしまう世界だ。ケガの防止は、いくらでも徹底しておきたいことだろう。
ーピング姿の力士が目立つようになったのは、その色のせいもあるだろう。かつて力士は、テーピングに限らず、包帯やサポーターを使う場合でも、ウーロン茶をかけたり浸したりして肌色に染めていた。遠目から判りにくくするためだ。
私は、力士たちがいつもくすんだ色のテーピングをしているのは、常に交換していないからだと思っていた。稽古や日常生活を通してテーピングが汚れたのだろうと。そうではなかった。力士たちは、できるだけ人目につかないよう、テーピングを変色させていたのだ。こんなことをするスポーツ選手は、おそらく力士ぐらいのものだろう。
在は真っ白なテーピングをする力士が増えた。テーピング理論の浸透によって、テーピングはカッコ悪いことでも、女々しいことでもないと思われるようになってきたからだろうか。しかし私はどちらかというと、かつてのウーロン茶を浸した力士の心意気のほうが好きだ。
力士は基本的にきれいであるべきだと思う。スマートでハンサムであれと言っているわけではない。締め込み一本で、他に何も体に付けない姿を「美しい」と思うのだ。そんな力士が登場するからこそ、相撲は、スポーツを超えた伝統のエンターテイメントたり得るのではないだろうか。
士は食わねど高ようじ。
たとえひもじい思いをしていても、ようじを咥えて満腹なそぶりをすることを言う。見栄を張るとか、いいかっこうをするのとはやや趣が異なる。人に弱みを見せない、泣きごとを言わないといった強がりの美学だ。
茶色のテーピングの根底には、武士の高ようじと同じ意識が流れている。たとえケガが恐くても、どんなにケガした部分が痛くても、テーピングをしない強がり。テーピングを巻くときは、人に気付かれないよう、ウーロン茶で変色させる強がり。そんな意味の無い、しかしとても共感できる強がりの精神が薄れていくことに、オールド相撲ファンとしては一抹の寂しさを感じてしまう。
(2005/11/01)

33.行司のいろは

31代木村庄之助が11月場所で引退した。そこで今回は行司について書いてみようと思う。
相撲は平安時代から行われていたが、現在の行司役に相当する役職はなかった。勝負判定は左右に将軍が一人ずつ遠くに控え、自分の陣営の力士が勝ったと思ったとき、矢を立てて勝ちを表示し、相手から物言いがついて論争になると、天皇が裁決を下し、これを「天判」といって反論することはできなかった。現在の行司役ができたのは、織田信長の時代とされている。
戸時代に(九重改め)中立正之助と名乗っていた人物が木村庄之助と改め、行司界の第一人者として江戸相撲の基礎を築いた。これが初代木村庄之助である。
シロウト相撲と職業相撲が法令で区別されたのは明治時代からで、シロウト相撲は職業相撲の傘下におかれた。このころ初代伊勢ノ海五太夫は、別名式守五太夫と称して新たに行司家を創立し、その門下から初代式守伊之助が出て、現在では木村、式守の二家だけが残されている。
司の定員は45名。頂点に木村庄之助、続いて式守伊之助。この二名は立行司(たてぎょうじ)と呼ばれ、代々名前が受け継がれる。格は装束によって判別できる。序の口や序二段格では裸足で、十両格になってようやく格タビが許される。菊とじ(胸の辺りから垂れ下る飾り房)も黒から青白になる。幕内格は本たびを履いて紅白の房。三役格は草履を履き、房は緋色。立行司・伊之助は紫に白の混じった房、庄之助のみが紫の房を許される。
また立行司の腰に差した短刀は、差し違えた場合は切腹するという心構えを表す。実際には年間9番の差し違えで降格。これは三役格までの行司の話。立行司になると、たとえ一番の差し違えでも進退伺いを出すのが不文律になっている。
在、行司家は先に述べたように木村家と式守家の二つのみ存在するが、両者が個別に行司を抱えているわけではなく、例えば式守姓から木村姓へ変わることも珍しくない。
木村家と式守家の違いは、力士を呼び上げる際の軍配の持ち方で判る。木村家は軍配を握った掌を下に向け=陰の型、式守家は上に向ける=陽の型。相撲を観戦する際には、次々に登場する行司の様子の移り変わりを楽しむのもまた一興だろう。
(2005/12/01)

34.「相撲」文字の兄弟たち

在は一般的に用いられている「相撲」という文字。実は他にも「すもう」と読む文字がある。
奈良朝時代は「相撲」ではなく「角力」や「角抵」の文字が使われ、いずれも「すもう」と読ませていた。これらの文字は中国から輸入されたもの。それ以前の日本には、「争う」とか「抵抗する」といった意味を持つやまと言葉、「すまひ」、「すまふ」という言葉があった。それに上記のような漢字を当てて使われていた。
かし中国から輸入さた「角力」という文字は武術の「力くらべ」で、必ずしも今の相撲をさしてはいない。この文字は『古事記』にも登場するが、手と手を取り合ってねじり合い蹴り合う、いわばアマチュアレスリングのような格闘技を示していた。
日本の文献に初めて「相撲」という文字が登場するのは『日本書記』。天皇が官女を集め、ふんどしを締めさせて相撲をとらせたものだ。女相撲が「相撲」の第1号だったのは面白い。やがて奈良時代、平安時代、鎌倉時代を通して相撲(すまい)、相撲人(すまいびと)という文字が頻繁に使われるようになっていった。
来、「相撲」という文字は古代中国には存在しない。漢語に詳しいインド人が、わざわざ新しい熟語を作ったのだ。サンスクリット語の「ゴタバラ(相撲の意)」に対して、中国で使われていた「角力、角抵」といった文字を採用せず、新たに「相撲」という熟語を充てたものだ。
インドと中国のすもうの形態がかなり違っていたところから、新しい文字を創案したものと思われる。「相撲」という文字がインド人の発明というのも、これまた興味深い。
戸時代に入ってからは角力の文字が復活し、宝暦七年以降三十七年間は「勧進角力」で通し、寛政六年から「勧進大相撲」と文字が改まる。大正時代まで表記の仕方は混用されたが、新聞、雑誌は角力が目立っていた。だが、大正十五年に三十六年間使用した角力協会を、大日本相撲協会と改めてからは、昭和になって再び「相撲」の文字がしだいに普及するようになった。昭和三十三年からは大日本の「大」をとり、日本相撲協会となって現在に及んでいる。
「相撲」の文字一つとっても歴史がある。現在でも年配の作家は昔懐かしい「角力」の文字をいまだによく使っている。このエッセイも「角力エッセイ」としているが、それは相撲の歴史にふと思いを馳せるようなものにしたいからだ。
(2006/01/01)

35.反り技待望論

和の終わりから平成の始まりにかけて、相撲界は「巨漢力士の時代」に移行した。すなわち双羽黒や大乃国が綱を張り、小錦が大関へと駆け上ったあたりだ。その後、日本人の体格向上や外国人力士の台頭などによって「巨漢の時代」が続いている。今や身長170センチ台のソップ型は小兵と呼ばれかねない。小さいイメージがある朝青龍でさえ、身長は185センチ、体重は143キロもある。
しかし力士が大型化すればするほど、小兵力士の活躍も際立ってくる。前述の平成初期には琴錦、安芸乃島、旭道山、舞の海といった小兵力士たちが、小気味良い速攻や鮮やかな技能相撲で土俵を沸かせていた。
在の幕内にはモンゴル力士が7人もいる。これは「相撲王国」青森の5人をもしのぐダントツの最大勢力だ。彼らは一様に、組んでから始まるモンゴル相撲の基礎を持ち、それがゆえに多彩な技を持っている。
モンゴル力士たちの技巧派ぶりは、フィニッシュの投げ技に留まらない。そこに至るまでの過程でも、相手の懐深く潜ったり、タコのように足を巻きつけたり、手で相手の足を取ったり払ったり…およそ稽古では習得できないような奇手珍技をとっさに繰り出す。モンゴル力士の台頭は、長い目で見れば、大相撲の技術がよりレベルアップするきっかけになりそうな気がする。
の究極の業師であるモンゴル力士たちの活躍に、私は秘かに期待していることがある。それは反り技を見たいという願望だ。これだけ技能力士が群雄割拠する時代にあって、反り技だけはなかなかお目にかかることができない。
反り技は全部で6種類あって、居反り、撞木(しゅもく)反り、掛け反り、たすき反り、外たすき反り、伝え反り。いわばプロレスで言うバックドロップや各種スープレックスのように、体をのけ反らせながら相手を後方に投げる豪快なものだ。多くの場合、小兵力士が大柄な力士を相手にしたときに成立する。
は一度だけ見たことがある。忘れもしない平成5年の初場所で、智乃花が花ノ国相手に決めた「居反り」がそれだ。智乃花の小さな体が弓のようにしなり、相手を背中から土俵下に転落させた瞬間は、テレビ桟敷で狂喜乱舞したものだ。
先場所(平成18年初場所)千秋楽で、幕内最軽量の安馬が惜しい相撲を見せた。雅山の突き押しに土俵際まで追い込まれ、一か八かの大勝負に出たものだ。結果、安馬は雅山の178キロの巨体に押しつぶされてしまったが、もう少しタイミングが速ければ、あるいはもう少し深く潜っていれば、反り技が成立したかもしれない。智乃花以来11年、そろそろ二度目の反り技を見てみたい。
(2006/02/01)

36.IT(アイ・ティー)革命

い歴史と伝統にのっとり国技を継承している力士たち。とっくの昔に絶滅した「チョンマゲ」を結い、一般人なら成人式や祭りでもなければ着ない和服を常用している。そんな、時代に逆行した存在と思われがちな力士も、中身は現代っ子であることに変わりない。
かつて北尾が「趣味はテレビゲーム」と言って話題になったのも今は昔。今の力士ならゲーム機の1つや2つは誰でも持っている。パソコンの普及率も高い。単にゲームをして遊ぶのではなく、自らブログ(ネット上での日記)を公開している力士も珍しくない。
天王は「ブログ力士」の草分け的存在だ。早くから自分のブログを立ち上げ、こまめに情報を発進してきた。日々の生活で思ったこと、巡業先で起こった出来事など、力士ならではの話題が満載。文章も巧い。
いちばん面白いのは、やはり場所中だ。取り組み前日に相手のことを考えたり、取り組み後に今日の勝負を振り返ったりして、一喜一憂がリアルタイムで伝えられる。テレビのインタビューではまず言わないような本音や裏話も散りばめてあって、ファンにとってはこれほど面白い読み物はない。
普天王の言葉づかいやものの考え方を知ると、普天王とて一介の悩める若者にすぎないことを実感する。チョンマゲを結い、人並みはずれた体格でありながら、引きグセが出ては反省し、負けが込んでは嘆く。そんな普天王はとても身近に思える。
ットに力を入れているのは個々の力士だけではない。相撲部屋も続々とホームページやブログを開設している。専門業者に全部お任せしている(と思われる)部屋のサイトはつまらない。デザインがきれいで、文章もしっかりしているが、内容は平凡。相撲雑誌で見れるような情報しか載っていない。そのてん、力士による手作りのサイトは一見の価値がある。
私が見たところ、荒汐、春日野、佐渡ヶ嶽、芝田山、玉ノ井、鳴戸、二所ノ関といった部屋の更新頻度が高い。以前はひんぱんに情報発信していたのに、ぱったりと更新されなくなった部屋もある。きっとパソコンの好きな力士がいれば熱心に更新され、その力士の成績が悪かったり部屋を去ったりすれば更新されなくなるのではないだろうか。
ログや掲示板の楽しさは、力士とファンが直接コミュニケーションできるところにある。かつてのファンレターなどとは違って、ずっと手軽に言葉をかけられるし、いち早く返事がもらえたりする。特にこれから出世しようという若くて無名の力士は、わざわざ自分あてに届いたメッセージを大切に扱ってくれる。
ホームページ上で弟子を募集している部屋も多い。恐らく、既に何人かの力士はネットを通じて弟子入りしていることだろう。インターネットは、我々と相撲界の距離をもグッと近づけてくれている。
(2006/03/01)

37.モンゴルの時代

成16年春場所はモンゴル力士の独壇場だった。まず最後まで優勝を争い、決定戦を戦ったのが朝青龍と白鳳。その結果、朝青龍は16回目の優勝を果たし、白鵬は大関昇進を決定づけた。三賞を受賞したのも白鵬・旭鷲山・安馬の3力士。三賞こそ逃したが、5枚目で11勝と勝ちまくった旭天鵬。朝赤龍も2ケタ白星。残る幕内力士の時天空でさえ千秋楽を待たずに勝ち越しを決めた。
モンゴル勢の活躍は幕内に留まらない。十両では3枚目の蒙古浪が9勝をあげ入幕目前。新十両の鶴竜も、これまた9勝して快進撃を続けている。もはや大相撲はモンゴル勢に制覇されてしまったと言っても過言ではない。
撲界は、その時々において潮流がある。例えば平成に入ってからは、二子山勢、ハワイ勢、日大勢、武蔵川勢…などが時代をリードした。最近では青森県勢が6~7人も幕内を占め、ひとつの潮流を作っていた。それも今となっては昔話か…。
先場所ほど完璧に、1つの場所を席巻した勢力はかつて無かったのではないだろうか。42人の幕内力士のうち、全体の「6分の1」に及ぶ7人ものモンゴル力士がいて、それらが全て勝ち越し、あげくの果てには優勝と準優勝と三賞を独占するなどということは。
ンゴル力士が俄かに活気づいたのは、白鵬の急成長が起爆剤になっているような気がする。並み居る大関よりはるかに力強い相撲を取り、独走する朝青龍を脅かし、入幕からわずか2年で一気に大関へと上ってしまった。
この破竹の勢いに朝青龍は新たなモチベーションを見出し、先輩のモンゴル勢も刺激されたことだろう。それだけ白鵬の普段からの稽古量は豊富で、本場所での取り口は申しぶんない。
青龍も息を吹き返しそうだ。ここ数場所はやたらテレビのバラエティー番組に出演し、稽古量も減ってきていた。場所前になると決まって風邪をひくのも、気持ちの緩みから来る自己管理の甘さではなかったか。終盤で栃東と白鵬に連敗したのも、稽古不足と気持ちの緩み。それが、決定戦で目を覚ました。
史上1位の優勝回数を誇る昭和の大横綱・千代の富士が横綱に昇進したのは26歳のとき。朝青龍はまだその年齢にさえ達していない。白鵬というライバルの出現で息を吹き返した朝青龍。はたしてこれからどのぐらい優勝回数を伸ばすのだろう。
(2006/04/01)

38.紙一重の角界入り

鳳が新大関となった。弱冠21歳。幕内2年目、所要12場所でのスピード昇進だ。千代大海・魁皇・栃東・琴欧州の大関陣は、いずれも故障を抱えて低迷気味。独走状態にある朝青龍も稽古量が激減し、スタミナ切れが顕著になってきた。
かくも精彩を欠く上位陣にあって、白鵬だけは心技体を充実させて場所に臨むものと見込まれる。稽古やインタビューを見る限り、新大関のプレッシャーも無い。それどころか大関は通過点に過ぎないことを十分に自覚し、綱取りを目指すことを公言してはばからない。なんと頼もしいことだろう。
長192cm、体重153kgという大きくて均整のとれた体つき。差し身の鋭さ。低く重い腰。ここ一番での勝負強さ…白鵬の長所を挙げたら枚挙にいとまがない。
血筋も申しぶんない。父親のジグジドゥ・ムンフバト氏は、モンゴル相撲の大横綱で国民的英雄だ。母親は元医師。環境にも経済的にも恵まれた家庭で、優れた身体と頭脳の遺伝子を受け継ぎ、まさに相撲界で活躍するために生まれてきたような男だ。そんな白鵬だが、決して将来を嘱望されて角界入りしたわけではない。
成12年10月に6人の若者がモンゴルから来日した。相撲取りになるために大阪の摂津倉庫で相撲を習い始めた。それを親方衆が代わる代わる見に来て、有望株をスカウトしていった。猛虎浪、大想源、大河らの入門が決まっていったが、痩身だった白鳳には最後まで声がかからなかった。
やがて滞在期限が迫り、白鵬は失意のうちに帰国の準備を始めた。だが帰国前日の12月24日、運命の歯車が大きく動き始めた。モンゴルの先輩である旭鷲山が師匠の大島親方に(元大関旭國)に相談し、大島は友人の宮城野親方(元前頭竹葉山)に受け入れを頼み込んだ。宮城野は、残された3人の中からあえて白鳳を指名したわけではない。直接会うこともなく「それでは一番背の高い子を引き受けましょう」と答えたそうだ。
うして、白鵬は帰国前日に自分の居場所を与えられた。その後の躍進は言うに及ぶまい。同期モンゴル勢に大きく水を開け、恩人である旭鷲山をはじめ幾多の先輩力士をも追い抜いた。そして今場所は大関まで昇進し、最後の目標たる朝青龍をも脅かさんとしている。
人生の“綾”とは不思議なものだ。そして、チャンスを完璧にものにした白鵬の努力と強運に思いを馳せるにつけ、今場所での活躍を期待せずにはいられない。願わくば、初の賜杯を抱くところを見たい。
(2006/05/01)

39.懸賞金こぼれ話

り組み前に、懸賞のバナーを持った呼び出しが土俵を一周する光景はなんとも風情がある。近ごろは景気が回復してきたのか、ひと頃より懸賞の数が増えてきたように思う。懸賞が集中する横綱・大関戦などは20~30本に及ぶことも珍しくない。
スポンサー企業は、ひいき力士の応援と自社の宣伝を兼ねて、目当ての取り組みに懸賞をかける。それを、勝った力士が自分の懐に納める。昔は、懸賞金をもらった力士が若い衆をひき連れて、夜の巷に繰り出すのが常だった。近ごろはまっすぐ部屋に戻って明日のために体調を整える力士が多いそうだ。
賞は幕内の取り組みに限られる。金額は1本6万円。スポンサーになるためには、1場所に6本以上の懸賞をかけなければならない。懸賞をかける対象はスポンサーが決める。協会に任せているスポンサーもある。
力士は懸賞金を全額受け取るわけではない。1本6万円のうち、手にできるのは半分の3万円。残り半分は日本相撲協会が預かる。そうしないと力士はあり金を全て使ってしまい、後で税金を納める段になっても手持ちが無かったりするからだそうだ。
継をしているNHKは国営放送という立場上、懸賞バナーが登場するとカメラを引く。だからスポンサーは遠目にも判るようなデザインにする傾向がある。いちばん目立つのは永谷園。おなじみ「お茶漬け」のパッケージそのままのバナーが、1場所に100本ぐらい登場するからだ。
お茶漬けのCMに出ている高見盛戦は、一度に永谷園だけで3~4本の懸賞が付いたりもする。そんな場合はバリエーションがあって、「鮭茶漬け」や「梅茶漬け」、「お吸い物」などのバナーも登場する。他に琴欧州戦に「明治ブルガリアヨーグルト」のバナーが登場したり、地味な力士同士の対戦には1本も懸賞が無かったり、途中から活躍し始めるといきなり本数が増えたり…懸賞バナーは、世相から個々の力士の背景や成績など様々なことを物語っている。
地に漢字1文字で「若」とだけ書いてあるのは、「ちゃんこ若」の懸賞バナーだ。ご存知「お兄ちゃん」こと元横綱・若乃花が経営するチャンコ屋だ。懸賞をかけるのは、店の宣伝もあるだろうが、現役力士に対する激励の気持ちもあるに違いない。
なぜなら「ちゃんこ若」のバナーが登場するのは、注目度の高い横綱戦とか、同門力士の取り組みとは限らない。横綱を目指す白鳳、小兵の安馬、ベテラン土佐ノ海などの一番にも登場する。こうした力士たちを、若乃花が「がんばれ!」と励ましたかったのだろう。土俵を去り、相撲界からも一歩身を引いた若乃花の、なんとも粋な計らいだ。
(2006/07/01)

40.力士の二極分解

つて千秋楽では「お決まりの勝負」が何番かあった。7勝7敗の力士が、既に勝越しや負越しが決まっている力士と対戦して、体よく8勝目をあげるというものだ。実際に調べたわけではないが、7勝7敗の力士が千秋楽で勝ち越す確率は9割ぐらいあったと思う。
最後の一番に勝ち越しがかかっている力士と、そうでない力士とでは、勝負にかける執念が違うだろう。だが、理由はそれだけだろうか。当時の週刊誌上で板井や大鳴戸親方が告発していたように、注射(八百長)相撲も行なわれていたのではなかろうか。
しき習慣は、その後の相撲協会の努力で徐々に改善されていったように思われる。例えば割(わり=取り組みを決めること)にも工夫が見られる。即ち、勝っている者同士、負けている者同士を対戦させる傾向にある。これでは力士間で星を貸し借りすることもできまい。
そもそも14日目まで7勝7敗で来る力士がめっきり少なくなった。例えば3月場所は魁皇・安馬・北桜の3人しかおらず、そのうち魁皇と安馬が勝ち越した。5月場所は9人とやや多かったが(うち6人が勝ち越し)、先の7月場所は琴欧州と十文字の2人(共に勝ち越し)に過ぎない。
勝ちする力士や、大負けする力士が増えたのもガチンコ相撲(真剣勝負)の証しだろう。強い力士は勝ちまくり、弱い力士はとことん負ける。先場所は、2ケタ以上勝った力士が9人、2ケタ以上負けた力士が10人もいた。かつては見られなかった現象である。
早々と勝ち越した力士が、残りを負け続けるという現象も少なくなった。勝ち越して油断するということもあるだろうが、そこまで絶好調だった力士が終盤を黒星で埋めるのは不自然すぎる。先場所は栃東と千代大海がそういう感じだったが、これは2人ともケガをしてしまったのが原因だから納得がいく。唯一、8勝3敗から4連敗した安美錦がちょっとクサいが…。
いうわけで、今や大相撲星取クイズで好成績をとるには、大負けする力士を絶対に外し、大勝ちする力士を少しでも多く見つけることが必須条件となってきた。大勝ちする力士は、誰もが選ぶ力士ではなく、自分だけが目を付けていることが望ましい。先場所で言えば玉春日なんかを選んでいれば、他者に大きな差をつけることができた。
もはや7~8勝におさまる力士は少ない。それは注射相撲の激減(もしくは消滅)が大きく影響している。一方で、大勝と大敗とに分かれる「力士の二極分解」も顕著になっていることを憶えておこう。
(2006/08/01)

41.「感動しない!」

撲は力や技で取るものでなく、気迫で取るものだ。改めてそう教えてくれるのが千代大海だ。
決して素質に恵まれた力士ではない。突き押し相撲でありながら、体が小さく腕も短い。時には立ち合いで変わったり、引いたり、はたいたりしなければ勝てない。首、右肩、両ヒジ、左手首、左ヒザ、左足首…と体じゅうに故障を抱えている。ここ数年は優勝から遠ざかるどころか、優勝争いに加わることさえほとんど無く、カド番を迎えてはやっと勝ち越しているという状態が続いている。
ぜこんな力士が大関まで上がれたのか、今となっては不思議に思える。しかも千代大海は、入幕からわずか10場所で、22歳の若さで大関昇進を果たしている。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで土俵を席巻した時期もあったのだ。
当時と今の違いは「気迫」に尽きる。かつての千代大海は、土俵下に控えている時から、眼前の対戦相手を睨みつけていたものだ。行司に名前を呼ばれて土俵に立った姿は、見るからに闘志満々。えもいわれぬオーラが体じゅうから立ち上っているように思えた。当時の横綱・大関は曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸、貴ノ浪。いずれも平常心で淡々と相撲を取るタイプだったから、闘志をむき出しにする千代大海はとても新鮮で小気味良く思えたものだ。
んな千代大海が、いつの間にか、どこでどうしたものか、気迫を失ってしまった。それと平行するように、成績も奮わなくなっていった。もはや土俵下で相手を睨むことはない。土俵上でも闘志を感じない。本来なら、闘志むき出しの朝青龍に誰よりも闘志を燃やすべき力士であろうに。そして、数々の名勝負を演じられたであろうに。
ショックだったのは今年の春場所。苦手とする玉乃島に敗れた後のインタビューで「これも想定内ですから」と答えた。これが、平幕に負けた大関の言葉だろうか。しかもそう答えたのは、かつて闘争心のかたまりのようだった千代大海だ。千代大海は終わった。そう思った。
月いっぱいで任期を満了する小泉首相が、かつて表彰式で「感動した!」との名言を吐いた。千秋楽結びの一番で大ケガをした貴乃花が、足を引きずりながら臨んだ取り直しの一番で、武蔵丸を投げ飛ばして優勝を遂げた。平素は勝っても負けてもポーカフェイスの貴乃花が、この時ばかりは鬼の形相を見せた。そのたぎるような気迫に、小泉首相も「感動した」のだろう。
我々は、単に力士の勝敗結果が見たくてテレビをつけるのではない。勝つにせよ負けるにせよ、その勝ち方、負け方がいかに感動的であるかを見たいのだ。あらかじめ負けを「想定」している大関の相撲が、人を感動させられるわけがない。願わくば小泉総理、退任する前にもういちど土俵に立って「感動しない!」と怒鳴ってほしい。
(2006/09/01)

42.観客席の人たち

相撲中継を楽しみながら、見るとは無しに見ているのが観客席。有名人、きれいどころ、民族衣装を着た外国人、相撲より飲み食いに夢中になっている人、勝負が決まるたびに一喜一憂している人…等が目に入ってくる。
正面の観客席や、東西力士だまりの後方にいる観客は、何度も目にすることになる。中には毎日のように、あるいは毎場所のように見かける人もいる。誰でも気がつくのは、金ピカの帽子をかぶって、日の丸の扇を振っているおじさんだろう。オリンピックでは柔道やフィギュアスケートの応援にも駆けつけて、マスコミのインタビューを受けたりしていた。国技館にもよく足を運び、ひいき力士が勝つと立ち上がって拍手喝采を贈っている。
人の和服女性もよく見かける。というかこの2人は、もう何年にもわたって、全ての場所で(つまり東京場所でも地方場所でも関係なく)、毎日のように見かける。1人はややふくよかな感じで、眼光鋭い大きな目が印象的。微笑んだり、誰かと話したりすることもなく、真剣に土俵に注目している。もう1人は色白の細面で、いつも日本髪を結っている。「ああ、あの人か」と思い当たる人もいるだろう。
テレビに映るぐらいだから、かなり前列の席にいる。場所が始まれば、そこに毎日やって来る。よっぽど相撲が好きで、なおかつお金と時間に余裕がある人に違いない。いったい何をしている人だろう?下世話ながら、そんなことを思ってみたりもする。
士が入退場する花道のすぐ近くには、これまた毎場所、これまた毎日、杉山邦博氏が陣取っている。かつてはNHKのアナウンサーとして実況もしていた。引退後は相撲に関する本を出版したり、相撲雑誌の対談やエッセイなどでもよく見かける。根っからの相撲ファンと見た。
よく相撲部屋や稽古場を訪問しているのだろう。力士の体調や近況など、足を使って手に入れた情報が豊富にある。相撲の歴史や故事来歴にも明るい。アナウンサー時代は、解説の親方衆よりずっと面白かった。観察眼も鋭く、微妙な勝敗や、判りにくい決まり手に際しても、解説や館内放送より先に言い当てたりもしていた。こんな人が毎日花道の傍らで土俵を凝視しているのだから、力士たちは身の引き締まる思いだろう。
撲記者、すなわち新聞・テレビ・雑誌の相撲担当者は、相撲を生で見ない人が多い。せっかく国技館まで足を運んでおきながら、支度部屋のテレビを見ているのだ。そのほうが解説を聞きながら観戦できるし、対戦成績や決まり手も表示されるし、映像がアップになったりスロー再生されたりもする。記者にとっては何かと便利なのだろうが、そのせいで、どこもかしこも同じような報道内容になってしまっている気がしてならない。
やはり相撲記者は実際に館内に身を置いて、その目で相撲を見、その耳で歓声や怒号を聞くべきだ。そうやって初めて「生の迫力」というものを茶の間に伝えられるのではないだろうか。杉山氏が毎日観戦に来ているのは、そして、そんな杉山氏の書く文章が面白いのは、まさに現場の臨場感を知っているからだろう。
(2006/10/01)

43.ゲンかつぎ

負の世界に生きる者は、とかく縁起を担ぎたがる。一瞬で勝負が決まってしまう相撲は、ほんのわずかのタイミングや動きが勝敗を左右しかねない。実力に加えて運も無ければ成績は上がらない。当然、ゲンかつぎも顕著になってくるようだ。
高見盛や北桜が仕切りの最中に行なうパフォーマンスもその一つ。一連の動作は、まるで何かの「型」のように様式化して見える。そうすることでベストのパフォーマンスができると自分を言い聞かせているのだ。土俵上に限らず、玄関を出るときに敷居をまたぐのを左右どちらかの足に決めていたり、部屋から国技館までの道順を決めていたり、負けが込むと道順を変えたり…と、多くの力士は生活のあちこちでゲンかつぎをしているものだ。
うすっかりお馴染みの黒海のヒゲ面。もともとヒゲが濃い男が、調子が上がってくるとヒゲを剃らなくなるので、終盤には顔の下半分が真っ黒になる。もっとも負けが込んでくると、厄落としの意味で毎日せっせとヒゲを剃る。星勘定をしなくても顔を見れば、黒海の成績の良し悪しが判る。
ヒゲを剃らないだけならいいほうで、中にはチョンマゲを洗わない力士もいる。稽古で汗をかき、取り組みでも汗をかき、おまけに土俵の砂や汚れまで付けた頭を洗わないのだから、その匂いたるや尋常ではなかろう。テレビでは判らないが、そばを通っただけでプーンと臭気を放っている力士もいるらしい。
ける、手をつく、土がつく、黒星といった言葉は縁起が悪い。勝ち、勝ち越し、白星、金星といった言葉は歓迎される。
面白いところでは、顔にホクロのある力士が、ホクロ=黒星を連想させるので、絆創膏を貼って隠していたという。場所中はサインに応じない力士もいる。サインをする時に握る黒マジックが黒星を連想させるからだ。ひょっとすれば黒以外のマジックを差し出せば、サインしてもらえる確率が高まるのかもしれない。
某自動車メーカーの調査によると、相撲関係者の購入する車は圧倒的に白が多く、その理由として白星を連想させるからだと書かれていた。あるいは某力士がブレスレットをしているのを親方から咎められた時に、苦し紛れに「これは金のブレスレット。金星が入るようにとのおまじないです」と言ったら許してくれたという。
食物にも、当然ながら、こだわりがある。酒豪ぞろいの力士たちも、サントリーオールドだけは好まない。黒くて丸いボトルが黒星を連想させるからだ。ビールではキリンが敬遠される。ラベルに印刷された麒麟の絵が、土俵に手を付く姿を連想させるらしい。反対にサッポロの大きな☆マークは白星を連想するので歓迎される。
間もなく大相撲九州場所。初日の朝は、鶏肉を使ったチャンコを作る部屋が多い。「ニワトリのように2本の足でしっかり立っていられるように」という思いが込められているのだ。
(2006/11/01)

44.眠れない白鵬

綱昇進は決定的と思われた白鵬が九州場所を全休。それが返すがえすも悔やまれる。その結果、またしても朝青龍の独走優勝を許してしまった。
モンゴル人ではあるが、白鵬には日本人の琴線を触わす魅力が漂っている。相手を挑発したりせず、静かで風格のある物腰。相撲の王道とも言える正攻法の四ツ相撲。公私にわたって相撲浸けのストイックな日々。いずれも現横綱の朝青龍には無い個性。双葉山や大鵬、貴乃花などを彷彿とさせる個性だ。
優勝のかかった春場所。白鵬は決定戦で朝青龍に敗れたものの、本割ではその朝青龍に土を付け、殊勲賞と技能賞を同時受賞。翌場所での大関昇進を決めた。千秋楽のインタビューで「ぜんぜん眠れませんでした」という白鵬のコメントは、ずいぶん新鮮で清々しく思えた。
思えば最近は、相撲に限らずどのスポーツにおいても、大事な勝負を前に「ぐっすり眠れた」と答える若者が多い。現代っ子はそれほどプレッシャーに強いのだろうか。切り替えが早いと言われればそれまで。だが、心の底から勝利を欲することなく、勝負のことで頭が一杯になるぐらいとことん物事と対峙できなければ(対峙しようとしなければ)、さぞかし寝つきも良いだろう。
は苦悶する者に未来を感じる。物事と真正面から向き合い、苦悶するその姿勢に。15日間ぶっ続けで眠らなければ体調も崩れるだろうが、せめて雌雄を決する大一番の前夜は、まんじりともせず夜明けを迎えてほしいものだ。
迷いが無く思い切りのいい相撲を取った舞の海でさえ、夜更けまでビデオを見ながら相手を研究し、土俵上で仕切りを重ねている時でもまだ戦法を考えていた。自分の理想とする相撲が取れない貴乃花は、明け方まで四股を踏み、すり足や鉄砲をやりながらイメージトレーニングに没頭した。心の底から「勝ちたい」と思うことは、つまりはそういうことだ。眠れるわけがない。
子は「四十にして惑わず」と言った。それは同時に、それまでは惑ってばかりいたということでもあろう。惑い、悩み、苦しみ、試行錯誤する。そういう経験を踏まえて初めて不惑の境地へと達することができるような気がする。
まだ経験が浅く、何の実績もない若者がぐっすり眠れるのはやはりおかしい。眠れない白鵬にこそ輝かしい未来が待っているいるに違いない。
(2006/12/01)

45.歴代最年長

相撲星取クイズで優勝すると、優勝者だけでなく道場主さんも表彰される。賞品(副賞)は両国観戦のマス席チケット。例年、秋場所の7日目か8日目のチケットが贈呈され、案内役として本社の社員も同行する。昨年は私が行った。
ただ相撲だけを見て帰るのも芸がないので、朝稽古も見学した。私が訪問先に選んだのは高砂部屋。なんたって横綱・朝青龍の部屋だ。横綱らしい激しい稽古が見れるかもしれない。同時に、「一ノ矢を見たい」という思いもあった。
ノ矢(いちのや)充。45歳。今場所の番付は序二段72枚目。最高位ですら三段目の6枚目に過ぎない。なぜそんな力士を見たかったかと言うと、彼が現役最年長であるどころか、歴代最年長の力士だからだ。
鳴かず飛ばずの力士は、だいたい30歳前後で現役に見切りをつける。あるいは親方が廃業を勧める。力が落ちてくる年齢だし、このままズルズルと続けても出世は見込めず、収入も無く、年下の関取の付け人をし続けるのも酷な話だ。それを一ノ矢は、もうすぐ50歳になろうかという年齢で、まだ土俵に上り続けている。何が彼をそうさせているのだろう。稽古を見れば何かが判るかもしれない。とにかく一ノ矢をこの目で見たかった。
砂部屋では、ついに朝青龍は稽古場に現れなかった。最近はめっきり稽古量が減り「1勤1休」だそうだから、運悪く「1休」の日だったのかもしれない。朝赤龍が5分ほどぶつかり稽古を披露してくれた。他に、弓取りをする関取(十両)皇牙も胸を出していた。
お目当ての一ノ矢はたっぷり見ることができた。我々が行った時は三番稽古の真っ最中で、やがて格上の力士たちが稽古を始めると土俵脇で四股、すり足、鉄砲などを黙々とこなしていた。1人だけ滝のような汗を流しながら。ふと、親方がなぜこの老力士に引導を渡さないのか解るような気がした。そこに一ノ矢が居るだけで座が締まる。その稽古ぶりや面倒見の良さも、若い衆の良き手本となっているであろう。
は一ノ矢は琉球大学(国立)理学部物理学科を出たインテリだ。大学卒業後に高砂部屋へ入門したが、身長が規定(173cm)に満たなかったため、すぐには初土俵を踏めなかった。場所ごとに行なわれる新弟子検査を5回も受けて、最後は恩情でゲタを履かせてもらって力士になった。
根っから相撲が好きなのだろう。それはもう恥も外聞もなく、へんなプライドもなく、ただひたすら相撲を取り続けたいのだろう。そんな一途で真摯な思いが、朝稽古を1回見ただけでも十分に伝わってきた。激しい競争社会で見も心も疲れてきた中年の同輩よ、高砂部屋に足を運んでみよう。一ノ矢が元気を分けてくれるかもしれない。
(2007/01/01)

46.無口は去れ

場所2日目のNHK大相撲中継。解説を務めたのは、正面が佐渡ヶ嶽親方(もと琴ノ若)、向正面に尾上親方(もと濱ノ島)。これがひどいのなんの。2人とも口が重すぎた。たまに話をしても、声が小さくて「モゴモゴ」としか聞こえない。およそスポーツ番組とは思えぬ陰鬱さ。冗談じゃなく、葬式の中継でも見ているような気分になった。
実況は、その場の雰囲気を生かしも殺しもする。優れた実況は人々の心に深く刻まれ、後世まで語り継がれる。相撲中継であれば、さりげない所作にその力士のこだわりや思い入れを見出し、一つの結果にドラマや因果関係を語ってみせる。それが見る者を感動させ、新たな発見や知識を得る楽しさをもたらしてくれるのではないだろうか。
くの場合、相撲の解説は親方が務める。そのほとんどは、思うに、いまだに力士感覚から抜け切れていない。つまり「インタビューされる側」にいると誤解しているフシがある。アナウンサーから何か聞かれたら答えるが、聞かれない限り黙っていればいいと思っているのなら、勘違いもはなはだしい。
解説者は、言ってみれば相撲の宣伝マン。今から始まろうとしている取り組みの面白さを語り、視聴者をテレビの前に釘付けにしなければならない。ここぞとばかりに相撲の魅力を語り、少しでも多くの相撲ファンを作っていかなければならない。そのためには取材もし、下調べもし、十分な資料とネタ話をもって本番に臨むべきだ。自ら語りかけようとせず、質問に対してありきたりの返答をするだけなら、いっそ居ないほうがいい。雰囲気が暗くなるだけだ。
方以外の解説者は例外なく面白い。北の富士、舞の海、内舘牧子、やくみつる、デーモン小暮といった面々は、それぞれ独自の審美眼や相撲哲学を持っていて、見る者を飽きさせない。相撲の良し悪しをはっきりと指摘し、自身の好みや思い入れを伝え、エピソードや懐かしい時代を語り、時には相撲界へ提言もする。普段から力士に接している親方衆の話が、そうした協会外の人たちよりつまらないのはおかしい。
北の富士にしろ舞の海にしろ、視聴者の反響があるから何度も招かれているはずだ。彼らは、相撲協会から給料をもらっているわけじゃない。つまらない解説をして、二度とNHKに呼んでもらえなければ、みすみす収入を逃すことになる。だから真剣に面白い話を語ろうとしているのだと思う。
士はもともと口数が少ないものだ。インタビューであまり喋らないように注意している力士もいる。だが現役を退いて親方になり、相撲中継の解説をするようになったら話は別だ。口が重かろうと何だろうと、相撲の醍醐味を人に語って聞かせなければならない。
野球やサッカーのように、あるいは競馬のように、喋りっぱなしの実況をしろとは言わない。相撲独特の間を味わえる実況の仕方というのもあるだろう。だが質問されなければ発言しないという消極さで、何ら視聴者に語る材料もないのなら、自ら解説を辞してほしい。せっかくの好取組も告別式のようにしてしまうのだから。
(2007/02/01)

47.横綱待望論

青龍の「ひとり天下」が続いている。平成15年春場所で横綱に昇進し、同年の九州場所で横綱武蔵丸が引退。以後、つまり平成16年初場所から今日まで3年3カ月ものあいだ、ずっと1人横綱を貫いている。
その間、誰かに横綱の地位を脅かされたことはない。力が伯仲した力士も居ない。大関陣は相次いで故障し、常に誰かがカド番を迎えているという有様。26歳の朝青龍はこれから脂が乗ってくる時期だというのに、3大勢は揃って30代で下り坂にさしかかっている。
この膠着状態を打ち破ることを、琴欧洲と白鳳に期待したい。どちらも昨年昇進した新鋭大関。共に朝青龍より若く、朝青龍には無い魅力を持っている。この2人のうちどちらかが(あるいは両方が)横綱に昇進したとき、大相撲の歴史はようやく新たなページへと移行するのだろう。
欧洲や白鳳が横綱に昇進した場合、楽しみにしていることがある。それは、不知火型の土俵入りが見れるかもしれないということだ。横綱の土俵入りには2つの型があって、それぞれ雲竜型、不知火型と呼ばれている。現在の横綱・朝青龍はもとより、武蔵丸、貴乃花、曙、北勝海、大乃国、千代の富士…歴代横綱の多くが雲竜型。近いところでは、わずかに若乃花(3代)、旭富士、双羽黒といった横綱が不知火型を採用している。
琴欧洲は、先代師匠の琴桜が不知火型だったことから、それを踏襲する可能性が強い。白鵬の場合は、今の部屋の開祖である吉葉山が不知火型であることから、その伝統を受け継ぐものと考えられる。
竜型と不知火型の違いは「せり上がり」を見れば明らかで、片手を水平に伸ばし、片手を腹に当ててせり上がる雲竜は攻守兼備の型。一方、両手とも大きく開いてせり上がる不知火は、超攻撃的な型とされている。
歴代横綱の多くが雲竜型を選んだ理由は、ひたすら攻めるだけでなく、時には守ることも大切という相撲哲学に共鳴したからだろう。さらに言えば、盲腸を悪化させて現役で亡くなった玉の海、おかみさんに暴行して部屋を飛び出した双羽黒など、不知火型の横綱には不吉な影がつきまとう。横綱在位も、琴桜・双羽黒・旭富士が9場所、玉の海が10場所、3代若乃花が11場所、隆の里が15場所など、不知火型の横綱はほとんどが短命に終わっている。
れでも東西の花道から順次登場する横綱が、それぞれ異なる型の土俵入りを披露してくれるのは見ごたえがある。3代若乃花が不知火型を選んだのも、同時代の横綱だった曙と貴乃花が共に雲竜型だったから。ダイナミックな不知火型は華やかで、雲竜の「陰」に対して、「陽」のイメージがある。陰陽両方の土俵入りがそろって初めて、相撲という様式も完成形となる。
そろそろ次の横綱が誕生してもいい頃。その最右翼は琴欧洲と白鳳。いずれが昇進しても不知火型の土俵入りを行なう。それによって儀式が完結する。となれば、早くその瞬間が見たくてたまらない気落ちに駆られる。
(2007/03/01)

48.睨め!

クシングの亀田興毅。好き嫌いは別として、「頼もしい」とは思う。相手を真っ向からニラみつけるから。たとえそれが「浪花の闘犬」と異名を取る彼によるショーアップの一部だったとしても、長らく相撲を見続けてきた私には新鮮に映る。今の力士たちには感じない、メラメラと燃える闘志を亀田に感じる。
の春場所を終えて、ますます朝青龍の強さを痛感した。週刊現代による一連の八百長疑惑騒動のあおりか、朝青龍はまさかの2連敗スタート。しかし、そこから本来の相撲を取り戻し、鬼神のごとき13連勝。千秋楽で、星ひとつリードしていた白鵬を本割で一蹴。続く優勝決定戦では、白鵬の立会いの変化に不覚を取った。これが朝青龍の強さを物語っている。
つまり「朝青龍に対抗しうる唯一の存在」、「朝青龍に土を着けるとしたらこの男しかいない」と言われている白鳳ですら、こんな奇襲を用いなければ勝てないということだ。朝青龍強し!
つきが変われば強くなるという訳でもあるまいが、力士たちは戦わずして朝青龍に敗れているような気がしてならない。仕切っているときの朝青龍は、痛いほどギラギラした視線を、終始相手に注いでいる。これをニラみ返そうとする力士は皆無。満足に朝青龍の顔を見ることさえなく、皆一様に目を伏せている。
昔の、元気がいい頃の千代大海なら真っ向からニラみ返していたはずだ。他の相手ならニラみつける稀勢の里も、相手が朝青龍だと目線が下がる。目ではなく、せいぜい胸元あたりまでしか視線が上がらない。若手の成長株と言われる琴奨菊も、豊ノ島も、豊真将も、ベテランの実力者も大関も、誰ひとり横綱をニラみ返せない。それが歯がゆくて仕方ない。
青龍は、決して恵まれた体格を持っているわけではない。それをずば抜けた集中力で、一気に最高位まで上りつめ、4年もの長きにわたって「無敵」の状態を堅持してきた。朝青龍の集中力を生み出しているのは闘志だ。朝青龍に勝とうと思ったら、まずその闘志で相手を凌駕しなければなるまい。
古来より日本では、闘志を内に秘めることが美徳とされてきた。そういう力士もいていいだろう。大物食いが得意だった舞の海は、相手に自分の考えを悟られぬよう目を反らした。史上最多の金星を獲得した安芸乃島も、ひょうひょうと仕切っていた。だが幕内の全部が全部そうじゃなくてもいいだろう。亀田のようなファイタータイプの力士も、1人ぐらい出てきてよさそうなものだ。
(2007/04/01)

49.新しき「古さ」

場所が始まる直前、1本の電話がかかってきた。電話の主は、星取クイズの申込用紙を出した後で旭天鵬が休場することを知り、別な力士に書き換えるよう頼もうとしたのだ。ところがその、代わりの力士の名前が出てこない。
「誰だったかな、ほら、あの武士みたいな力士」
…そのヒントでピンときた。「もしかして豊真将ですか?」と尋ねたら、当たっていた。「武士みたいな力士」とは言いえて妙。なるほど豊真将はそんな感じだ。
士と言っても、荒々しい野武士という感じではない。わずかな俸禄をもらってつつましく暮らしているような武士。藤沢周平の小説に出てくるような、実直で清貧な武士であろう。
当社の女子社員は「白黒写真が似合いそう」と表現した。これもウマい。どこがどうという訳でもないが、豊真将には「古さ」が漂っている。古き良き時代のお相撲さん。派手な取り口でもなく、変化もせず、愚直なまでに頭を下げて低く低く、前へ前へ出る相撲内容も然り。あの「古さ」が、今となってはまず見られないだけに、逆に新鮮だ。
真将の一挙一動が好きだ。シコを踏む前にやるかしわ手の打ち方、さり気なくも長く伸びる塩のまき方、賞金を手にするときの手刀の切り方…その一つ一つにけれん味がなく、実直さがにじみ出る。
最も好感を抱くのは、土俵に礼をした時だ。両足を揃え、まっすぐに背筋を伸ばしたあと、深々とお辞儀をする。言葉にすると、まるで軍隊の兵士のようなキビキビした動きを想像させてしまうが、そうではない。一連の動作はとても自然に行われている。負けた後でさえ、悔しさを微塵も表情や態度に表さず、実に丁寧に一礼する。その清々しいこと!
私は、心のどこかで豊真将が負けるところを見たがっているところがある。負けてなお礼を尽くす、あの姿が見たいからだ。
近は負け際の悪い力士が目に付く。まるで相手に非があるかのように睨んだり、どこかを痛めたのか早々に土俵を下りたりする力士だ。礼の仕方も無様だ。相手に頭を下げるのがよっぽど屈辱的なのか、負けた時はわずかに首を傾げるだけで終わる幕内力士が、少なくとも7人いる。負けたのがよっぽど悔しいのか、ガクンと首を下げたり、うなだれたままでいる力士が5人はいる。いずれも醜い。
豊真将が登場するまで、最後の礼まで注目することはなかった。誰がどんなふうにお辞儀するのか知らなかった。だが今はそれが妙に気になる。負けたあとの最後の一礼に、そのほんの一瞬、力士の本性が現れるのを知ったからだ。
(2007/05/01)

50.佐渡ヶ嶽訪問記

京への出張ついでに、相撲部屋でも見学して帰ることにした。かつて国技館のあった蔵前のホテルを早々にチェックアウト。両国界隈にある部屋なら4~5軒はハシゴできたる。だが私は、たとえ1軒しか見られないとしても、ぜひ佐渡ヶ嶽部屋を訪ねてみようと思った。
佐渡ヶ嶽部屋は、なんといっても角界一の大部屋だ。しかも大関琴欧洲を筆頭に、琴光喜、琴奨菊など多士済々。親方衆も新・佐渡ヶ嶽親方の琴ノ若をはじめ、琴ヶ梅、琴稲妻、琴椿、琴錦、琴龍など星取で一喜一憂した往年の幕内力士がズラリ顔を揃えている。相撲ファンなら一度は見ておきたい部屋だろう。それも、力士から親方まで多士済々である、今のうちに見ておきたい部屋だ。
国から電車に揺られること1時間、千葉県松戸の松飛台駅から歩いて10分ほどの閑静な住宅街に、佐渡ヶ嶽部屋の威容がそびえ立っていた。
稽古場に入ると、ちょうど今から稽古が始まるところのようだ。よっぽど相撲が好きなのだろう。上がりがまちには、既に2~3人の見学者が土俵を見つめていた。
私も彼らにならって座布団を1つ頂戴し、土俵がやや斜めに見える位置に腰を下ろした。土俵を横から見る位置だと、両者の全身が見えるものの、横顔しか見えず、その表情を楽しめない。土俵の正面だと、手前の力士のケツしか拝めない。私は、土俵が斜めに見える位置が好きで、ここだと仕切りから両者の顔つきが楽しめるという寸法だ。
マワシの若い衆たちが股割りを行い、体を入念にストレッチしていた。その後、腕立て、すり足といった準備運動が続く。すっかり頭の薄くなった琴稲妻が、竹刀を片手に「鬼軍曹」ぶりを発揮している。
しばらくして琴ノ若(佐渡ヶ嶽親方)が現れた。稽古中の力士たちがいっせいに「おぃーっす」と挨拶する。親方は、彼らには目もくれず、私たちに軽く会釈をして、誰も居ない向こう側の座敷の中央にドッカと座った。本場所で力士が土俵に上がるときにそうするように、若い衆がヒシャクに水を汲んで差し出すと、親方はそれを軽く口に含む。そんな光景を眺めながら、この稽古場もまた、本場所の土俵と同じように神聖な場所なのだと知った。
やがて2人の力士が申し合いを始めた。「ほらほら成田。お前はいつも腰が高いんだよ!」、「この渡辺が。足を上げるなって何度言ったらわかるんだ!」。テレビの解説では柔和な感じの琴ノ若も、稽古場では鬼と化す。「また引きやがって、こいつ。腕立てだ!」。「早くせんか!」。親方の叱咤に「はい」と返事をする力士たちの姿が痛々しくもあり、新鮮でもある。
撲の世界では日々の練習のことを稽古と呼ぶ。「稽」という字は、神が舞い降りる軍門の表木(看板)のこと。「稽古」とは、いにしえから伝わる神意を探求することを意味している。相撲は、単なるスポーツではなく、もちろん儀式でもなく、先人の教えに習って自らの生き方を考えることだ。
およそ聖人君子とはかけ離れた親方の怒号。時に竹刀が振り上げられ、ゲンコツが落とされる。それにいちいち「はい」と返事をして素直に従う若者たち。稽古場には、現代の「教育」だとか「指導」といった概念とはおよそかけ離れた光景が展開されている。それは、彼らがスポーツの技能を向上させているのではなく、道を究めようとしていることを如実に物語っていた。
(2007/07/01)

51.最年長大関昇進

相撲人気が低迷してしまった一因は、若の里と琴光喜にもあったと思う。この同年代の実力者2人が、朝青龍の独走を許してしまったからだ。若の里は幕内52場所中26場所で三役を張り、うち17場所は関脇で、6場所連続で関脇を務めたこともあった。
琴光喜のキャリアはさらに輝かしい。幕内42場所中30場所で三役を張り、うち22場所が関脇で、11場所連続で関脇を務めている。だが朝青龍にまるっきり歯が立たないのが玉に傷。かつては朝青龍をして「琴光喜は俺のライバル」と言わしめながらの27連敗。ライバルどころか、すっかりカモにされてしまい不甲斐ないこと甚しい。
から、そんな琴光喜が先の名古屋場所で大関昇進に大手をかけても、私は微塵も期待しなかった。むしろ惨敗を予想して、星取クイズから外したほどである。場所直前の新聞報道も、私の予想を裏打ちしていた。こうである。

朝青龍が佐渡ヶ嶽部屋に出稽古に来た。その日、体調不良の琴欧州と琴奨菊は稽古を欠席。よって琴光喜が一人で横綱の相手を務めなければならない状況だった。だが琴光喜は、わずか5分前に稽古を終えたことを理由に、横綱との稽古を辞退。朝青龍は門前払いを食らった格好で、ムッとしながら帰って行った。

横綱が帰ったあと、琴光喜が記者にしたコメントが驚いた。

「稽古が終わった後でよかった。あと5分長くやってたら、横綱との稽古を断るわけにはいかなかった。大関取りのかかった大事な場所でケガなんかしたくないからね」

れが、今まさに大関になろうとする者の言葉だろうか。横綱直々に稽古場へ 来てくれたのだから、マワシを締め直してでも稽古場に立つのが筋だろう。それを、こともあろうに「5分早く稽古を終えていて助かった」とは泣けてくる。この弱気の虫を退治しない限り今場所も、いや、いつまでたっても琴光喜の大関昇進は無理だと思った。
琴光喜は、早くから大関に値する実力を備えていた。名門の日大相撲部で歴代2位のアマタイトル27個を獲得して(最多は久島啓太の28個)角界入り。入幕場所では三賞をトリプル受賞し、翌場所(入幕2場所目)で早くも関脇に就いている。あれから6年半、琴光喜は常に三役もしくは平幕上位をキープし続けてきた。
去に4回ほど大関昇進のチャンスもあった。それをことごとく逃してきたのは「ノミの心臓」と揶揄される極度の緊張癖。心の弱さだった。「5分早く稽古を終えていて助かった」という言葉も、そんな琴光喜を象徴している。
ところが、いったい何がどう変わったのであろう。名古屋場所の琴光喜は初日から破竹の10連勝。11日目に苦手の朝青龍に苦杯を喫したものの、最終的には堂々の13勝。過去3場所の合計が35勝という、圧倒的な成績で大関昇進を決めた。若武者は、気がつけばいつしか31歳3ヶ月になっており、史上最も高齢な新大関となった。とりあえず今は苦労人の前途を祝したい。
(2007/08/01)

52.部屋持ち親方の資格

ガのため巡業を休んでいたはずの朝青龍が、モンゴルでサッカーに興じていたことが大々的に報じられてしまった。すかさず日本に呼び戻されたものの、謝罪の言葉も聞けぬまま、当人がマンションに引きこもってしまった。医師が代わる代わる診察し、それぞれ気持ちが病んでいるとの所見を発表。それによって朝青龍はモンゴルへの帰国が許され、家族が経営するリゾートホテルで療養に努めている。
…テレビがこの問題を取り上げない日はない昨今、今さら説明の必要もあるまいが、以上が一連の「朝青龍騒動」のあらましだ。
青龍の陰に隠れてしまったが、週間現代がしつこく報じてきた白鵬の八百長(というか宮城野親方による八百長工作)問題もかなり信憑性が高い。八百長を告発した「もと親方の愛人」と宮城野親方の会話は、週刊現代のホームページで聞くことができる。これほど明確に八百長を指摘されながら、親方や相撲協会が法的措置に出ないのは、やはりどこかやましい所があるからではないだろうか?と勘ぐりたくもなる。
この騒動で初めて気づいたが、白鵬の対戦相手に八百長を持ちかけた「宮城野親方」は、私の知っている宮城野親方ではなかった。白鵬を発掘して育てた先代(もと竹葉山)は、平成16年に熊ヶ谷を襲名し、宮城野の部屋付き親方に降格していた。現在の宮城野親方は、かつて金親というシコ名で相撲を取っていた人だ。ピンと来ない方もいるだろうが無理もない。金親は十両止まり。星取りクイズには一度も登場していないのだから。
選手が必ずしも名伯楽になれるとは限らない。だが幕内にさえ上がったことのない親方が、横綱を指導するのはさぞかし大変だろう。大関まで上がった高砂親方(もと朝潮)でさえ、「横綱の重責とプレッシャーは、横綱になった者でないと解るまい」と公言し、朝青龍の指導に腰が引けている。
稽古をつけてもらった先輩力士を、本番の土俵で負かすことを、角界では「恩返しをする」と言う。べつに皮肉ではない。自分をそれだけ鍛えてくれた先人への謙虚で真摯な気持ちをそのまま言葉に表したものだと思う。同じように、弟子が親方の地位を上回ることも立派な「恩返し」と言えるだろう。だが、それにしても、金親が白鵬の親方であることは、いまいち違和感が拭えない。もと十両力士が横綱に指導していることもそうだが、一門ですらない北の湖部屋の力士が引退して、部屋の長に収まっているところに無理がある。白鵬は、親方が裏で奔走しなくても横綱になる力を持っている。そんな白鵬の前途を、金親が汚してしまったように思えてならない。
撲協会は昨年9月に、部屋持ち親方になれるハードルを高くした。つまり
①横綱か大関になった者
②三役を25場所以上務めた者
③幕内を60場所以上務めた者
でなければ自分の部屋が持てなくなったのだ。この規定を現役力士にあてはめると、横綱・大関以外で部屋が持てるのは土佐ノ海、若の里、玉春日、栃乃洋の4人しか居なくなる。賛否両論あるだろが、私は妥当な線のように思える。
(2007/10/01)

53.相撲はスポーツか?

青龍問題が以前として世間の注目を集めている。時間がたつにつれて、根本的な原因がどうやらはっきりとしてきたと思う。原因の全てとは言わないが、多くは師匠である高砂親方(もと大関・朝潮)の指導力不足になるような気がしてならない。
朝潮は相撲をスポーツとして捉えている。だから、例えば朝青龍が懸賞金を(不浄とされる)左手で受け取っても、「本人が左利きなのだからいいじゃないか」と擁護してしまう。朝青龍の自己本位な思考は、もう5年も前に、内舘牧子氏(横綱審議委員)が言った「懸賞は右手で受け取りなさい」という指摘を無視した時点からもう始まっていたのだ。勝てばいいじゃないか。強いければいいじゃないか…朝青龍は全てをそう考えて、文化や民族性や価値観のギャップを埋めていったのだろう。それを野放しにした高砂親方こそ残酷だ。
潮は近大相撲部の出身だ。角界入り後は出世が早く、下積み時代がほとんど無い。しきたりや伝統について考えるヒマもなく大関まで駆け上り、引退して親方になったのかもしれない。部屋は部室、相撲は勝敗、力士の価値は最高位。相撲をスポーツと考えるなら、それは間違ってはいない。
朝青龍は最初から問題児だったわけではない。三役~大関~横綱と階段を上がっていくにつれて、様々な発言や行動が傍若無人化していったのだ。「強ければ何をやっても許される」と勘違いしていたのだ。横綱という、最高位の称号をすんなりもらえた時点で、朝青龍のそんな思いは確信に変わったことだろう。
綱になる条件は2つある。成績と人格だ。朝青龍の「人格」を、横綱審議委員会は見て見ぬふりをしたわけだ。「成績」が抜群だったから、明確な判断基準を作り難い「人格」の審査を怠ったとしか言いようがない。「成績」だけで判断するのなら誰にでもできる。というか、数字だから判断するまでもない。「人格」を見極めなければ、横綱審議委員会の存在する意味がない。
朝青龍が横綱に推挙されたとき、当時の渡邉恒雄・横審委員長はこう言ったものだ。「品格という点では多少問題もあるが、彼はまだ若い。横綱という地位が、やがて朝青龍の品格を磨いてくれるだろう」と。つまり、品格が不十分なのに=条件を満たしていないのに、横綱にしたことを認めていたわけだ。高砂親方も、自分の指導が間違っていなかったと確信したに違いない。
撲はスポーツではない。日本相撲協会は財団法人であり、その活動には公益性が求められる。日本文化と伝統を継承し、披露し、普及させるという公益性だ。そこが、例えば学生相撲とも決定的に異なる。相撲がスポーツであれば、力士はチョンマゲを結う必要はない。フンドシを締める必要もない。
私は、客席で弁当や酒を飲みながら観戦するスポーツを他に知らない。たまに閑散とした野球場の芝生席で、観客が弁当を広げている光景を目にするが、それは決して一般的ではない。ボクシングやプロレスもそうだし、あれほどエンターテイメントに徹したK1ですら、観客は物を食べながら観戦しない。そういう意味で相撲は、むしろ歌舞伎や落語に近い。言ってみれば娯楽。演じるものが真剣に体を張る娯楽だ。人々は勝敗以上のものを土俵に見出して楽しんでいる。
相撲はスポーツじゃない。高砂親方は、まずそのことを朝青龍に教えてやるべきだ。朝青龍には大いに同情する。
(2007/10/01)

54.立ち合いの奇跡

国人にとっては相撲の立ち合いがとうてい理解できないらしい。つまり、何かの合図によって相撲が始まるわけではなく、力士がお互いに呼吸を合わせ、両者の息が合った「ここだ!」という瞬間に立つということが。
競技者が同時に開始しなければならない競技には全て合図がある。その始まりは笛やサイレンやゴングやピストルが鳴ったり、旗が振られたり、ランプがともることで初めて公平さが成立している。あるいは審判の掛け声が。だが相撲の行司は合図をしない。両者の間に行司が立つのは、立ち合いの成否を見極めるためでしかない。相撲が始めるきっかけは、あくまで2人の力士の「あうんの呼吸」でしかない。
われてみれば、「なるほど」と思えなくもない。確かに立ち合いの基準は曖昧だ。曖昧すぎる。言葉も交わさずに「ここだ!」という一瞬が、他人と共有できるものだろうか。テレビで見ていても、その見極めは非常に難しいのが判る。わざと早めに構えたり、ゆっくり構えてジラしたりする力士もいる。短距離走のフライングのように、いちかばちかつっかける力士もいる。相手の意表をつきたいから、相手のタイミングをずらしたいから駆け引きをする。それで、いつどこでお互いの呼吸が合うというのだろう。
駆け引きという行為は、言ってみれば「ずるい考え」だ。呼吸を合わせるという行為は、自分を相手に合わせるという「譲り合いの考え」だ。両者が同時に成り立つとは思えない。実際、何年も相撲を取り続けてきたベテラン力士や、横綱・大関という地位まで上り詰めた実力者でさえ、時に呼吸が合わずマッタをしている。経験や実力に関わらず、立ち合いで呼吸を合わせるというのは難しいものに違いない。
つて相撲の仕切りには制限時間が無かった。そのため両者の呼吸が合わなければ、延々と仕切りが繰り返された。何度仕切っても呼吸が合わず、相撲を取らないまま翌日に勝負が持ち越されたこともあったという。いや実際、呼吸を合わせるというのはそれぐらい至難の業であろう。
やがてNHKがラジオ中継を始めたのをきっかけに、放送時間内に収めるために仕切り時間が5分と定められた。テレビ中継が始まって、それが3分に短縮された。時計係が片手を挙げて合図をしたのを見て、東西の呼び出しが力士にタオルを手渡し「両者時間です」を伝える。その後はもう二度と仕切り直せないというのが暗黙のルールだ。最後の仕切りでどうしても合わず、力士が立ち上がったりマッタをかけると、たちまち審判員の親方に叱られる。呼吸が合おうが合うまいが、合ったふりをしてでも立たなければならない。力士も辛かろう。
吸さえ合えば、時間前に立っても構わない。しばらく見かけないが、かつての貴闘力や濱ノ島は、時間前からメラメラと闘志を放ち、よく時間前に立つ取り組みを成立させていたものだ。よく考えると、このほうが呼吸を合わせやすいかもしれない。最後の1回の仕切りにかえるより、チャンスが2~3度多い。
ともあれ、本来ならおよそ合わないであろう呼吸を、とにもかくにも合わせて成立する相撲が1日に百番以上行われ、それが15日間も続けられている。そこには、多少遅れたり、早まったりして力を出し切れなかった取り組みも少なからず含まれるであろう。一方で「おみごと!」と思わず叫んでしまうような、息のぴったり合った取り組みも必ずある。奇跡が、ものすごい数で実現している。それは、相手よりまず自分の非を責める日本人独特の意識と正義感が支えているのだと思う。相撲が国技である所以は、外国人にはおよそ理解できない、あの立ち合いの奇跡が象徴している。
(2007/12/01)

55.13年ぶりに見た!

「感動した!」。そう言って、当時の小泉首相が貴乃花に賞状を手渡したのは、平成13年夏場所のことだった。貴乃花と武蔵丸による熾烈な優勝争い。14日目に右ヒザを脱臼し、普通なら立っていられない状態の貴乃花が千秋楽で武蔵丸と相まみえる。本割は武蔵丸が勝ち、2横綱による優勝決定戦。ここで貴乃花が類い稀な精神力を発揮して、武蔵丸を上手投げで破る「奇跡」を演じた。両者とも真っ向からぶつかり合う力相撲。横綱相撲というものを心から堪能した。
あれから13年半。貴乃花はケガの後遺症に苦しみ、武蔵丸はしだいに力が衰え、間もなく引退する。その後は、朝青龍が他を圧倒するのをひたすら見続けてきたような気がする。
場所の白鵬・朝青龍戦は、13年ぶりに見る千秋楽結びの一番、優勝をかけた横綱同士の直接対決だった。日本中から総バッシングを受けながら耐え忍んだ2場所の謹慎処分明けの朝青龍。調整不十分とスタミナ不足が心配されたが、日を追うごとに体の切れが良くなり、いきなり復活Vの期待が高まる。一方の白鵬は「朝青龍が休んでいる間、自分は相撲を取り続けてきた。絶対負けるわけにはいかない」と息巻く。まさに意地と意地のぶつかり合い。
立ち合いから両者がっぷり四ツ。力が緊迫し動かない。朝青龍の巻き返しに乗じて白鵬が前に出ると、一瞬、朝青龍が白鵬を高々と吊った。ここで朝青龍の稽古不足が初めて露呈する。吊りの体勢を維持できず、腰砕け気味に白鵬を下ろした直後に投げを打たれ敗退した。
が勝ち誰が負けたか、ではなく、相撲そのものが面白かった。久しぶりに興奮し、久しぶりに手に汗握った。そういう素晴らしい相撲を見せてくれた2人の横綱に、心から感動した。最高位を極めた者同士の対戦は、言うまでもなく角界で最もレベル高い相撲だ。そこに「どうしても負けたくない。勝ちたい」という事情が加わり、ドラマが展開されたとき、最高の舞台設定が整う。
プロスポーツとしてのエンターテイメントも求められる大相撲では、そんな舞台設定も合わさって初めて、後世まで語り継がれるような「名勝負」が誕生するものだ。初場所の白鵬・朝青龍線も、間違いなくその1つに加わった。
聞報道によるとその一番の視聴率は60%近いものだったそうだ。そして翌日、あちこちの職場はその話題で持ちきりだったことは想像に難くない。
モンゴル力士が活躍しているのが面白くない - そういう声もある。だがこの一番に関しては、誰もそれを言わない。確かに強い日本人力士の登場も待望するが、どこの国の出身であれ、素晴らしい相撲を取った力士に対しては惜しみない拍手と喝采が贈られる。大相撲も、ようやくそんな状況になってきたのかもしれない。サッカーやK1では、日本人選手より世界トップレベルの外国人選手のほうが人気がある。大相撲もそういう時代に変遷していくのかもしれない。やや複雑な心境ではあるが…。
(2008/02/01)