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53.相撲はスポーツか?
青龍問題が以前として世間の注目を集めている。時間がたつにつれて、根本的な原因がどうやらはっきりとしてきたと思う。原因の全てとは言わないが、多くは師匠である高砂親方(もと大関・朝潮)の指導力不足になるような気がしてならない。
朝潮は相撲をスポーツとして捉えている。だから、例えば朝青龍が懸賞金を(不浄とされる)左手で受け取っても、「本人が左利きなのだからいいじゃないか」と擁護してしまう。朝青龍の自己本位な思考は、もう5年も前に、内舘牧子氏(横綱審議委員)が言った「懸賞は右手で受け取りなさい」という指摘を無視した時点からもう始まっていたのだ。勝てばいいじゃないか。強いければいいじゃないか…朝青龍は全てをそう考えて、文化や民族性や価値観のギャップを埋めていったのだろう。それを野放しにした高砂親方こそ残酷だ。
潮は近大相撲部の出身だ。角界入り後は出世が早く、下積み時代がほとんど無い。しきたりや伝統について考えるヒマもなく大関まで駆け上り、引退して親方になったのかもしれない。部屋は部室、相撲は勝敗、力士の価値は最高位。相撲をスポーツと考えるなら、それは間違ってはいない。
朝青龍は最初から問題児だったわけではない。三役〜大関〜横綱と階段を上がっていくにつれて、様々な発言や行動が傍若無人化していったのだ。「強ければ何をやっても許される」と勘違いしていたのだ。横綱という、最高位の称号をすんなりもらえた時点で、朝青龍のそんな思いは確信に変わったことだろう。
挿絵と文章は関係ありません
綱になる条件は2つある。成績と人格だ。朝青龍の「人格」を、横綱審議委員会は見て見ぬふりをしたわけだ。「成績」が抜群だったから、明確な判断基準を作り難い「人格」の審査を怠ったとしか言いようがない。「成績」だけで判断するのなら誰にでもできる。というか、数字だから判断するまでもない。「人格」を見極めなければ、横綱審議委員会の存在する意味がない。
朝青龍が横綱に推挙されたとき、当時の渡邉恒雄・横審委員長はこう言ったものだ。「品格という点では多少問題もあるが、彼はまだ若い。横綱という地位が、やがて朝青龍の品格を磨いてくれるだろう」と。つまり、品格が不十分なのに=条件を満たしていないのに、横綱にしたことを認めていたわけだ。高砂親方も、自分の指導が間違っていなかったと確信したに違いない。
撲はスポーツではない。日本相撲協会は財団法人であり、その活動には公益性が求められる。日本文化と伝統を継承し、披露し、普及させるという公益性だ。そこが、例えば学生相撲とも決定的に異なる。相撲がスポーツであれば、力士はチョンマゲを結う必要はない。フンドシを締める必要もない。
私は、客席で弁当や酒を飲みながら観戦するスポーツを他に知らない。たまに閑散とした野球場の芝生席で、観客が弁当を広げている光景を目にするが、それは決して一般的ではない。ボクシングやプロレスもそうだし、あれほどエンターテイメントに徹したK1ですら、観客は物を食べながら観戦しない。そういう意味で相撲は、むしろ歌舞伎や落語に近い。言ってみれば娯楽。演じるものが真剣に体を張る娯楽だ。人々は勝敗以上のものを土俵に見出して楽しんでいる。
相撲はスポーツじゃない。高砂親方は、まずそのことを朝青龍に教えてやるべきだ。朝青龍には大いに同情する。
(2007/10/01)
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