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大相撲人気が低迷してしまった一因は、若の里と琴光喜にもあったと思う。この同年代の実力者2人が、朝青龍の独走を許してしまったからだ。若の里は幕内52場所中26場所で三役を張り、うち17場所は関脇で、6場所連続で関脇を務めたこともあった。 琴光喜のキャリアはさらに輝かしい。幕内42場所中30場所で三役を張り、うち22場所が関脇で、11場所連続で関脇を務めている。だが朝青龍にまるっきり歯が立たないのが玉に傷。かつては朝青龍をして「琴光喜は俺のライバル」と言わしめながらの27連敗。ライバルどころか、すっかりカモにされてしまい不甲斐ないこと甚しい。 だから、そんな琴光喜が先の名古屋場所で大関昇進に大手をかけても、私は微塵も期待しなかった。むしろ惨敗を予想して、星取クイズから外したほどである。場所直前の新聞報道も、私の予想を裏打ちしていた。こうである。
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これが、今まさに大関になろうとする者の言葉だろうか。横綱直々に稽古場へ
来てくれたのだから、マワシを締め直してでも稽古場に立つのが筋だろう。それを、こともあろうに「5分早く稽古を終えていて助かった」とは泣けてくる。この弱気の虫を退治しない限り今場所も、いや、いつまでたっても琴光喜の大関昇進は無理だと思った。 琴光喜は、早くから大関に値する実力を備えていた。名門の日大相撲部で歴代2位のアマタイトル27個を獲得して(最多は久島啓太の28個)角界入り。入幕場所では三賞をトリプル受賞し、翌場所(入幕2場所目)で早くも関脇に就いている。あれから6年半、琴光喜は常に三役もしくは平幕上位をキープし続けてきた。 過去に4回ほど大関昇進のチャンスもあった。それをことごとく逃してきたのは「ノミの心臓」と揶揄される極度の緊張癖。心の弱さだった。「5分早く稽古を終えていて助かった」という言葉も、そんな琴光喜を象徴している。 ところが、いったい何がどう変わったのであろう。名古屋場所の琴光喜は初日から破竹の10連勝。11日目に苦手の朝青龍に苦杯を喫したものの、最終的には堂々の13勝。過去3場所の合計が35勝という、圧倒的な成績で大関昇進を決めた。若武者は、気がつけばいつしか31歳3ヶ月になっており、史上最も高齢な新大関となった。とりあえず今は苦労人の前途を祝したい。 (2007/08/01) | ||
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