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50.佐渡ヶ嶽訪問記
京への出張ついでに、相撲部屋でも見学して帰ることにした。かつて国技館のあった蔵前のホテルを早々にチェックアウト。両国界隈にある部屋なら4〜5軒はハシゴできたる。だが私は、たとえ1軒しか見られないとしても、ぜひ佐渡ヶ嶽部屋を訪ねてみようと思った。
佐渡ヶ嶽部屋は、なんといっても角界一の大部屋だ。しかも大関琴欧洲を筆頭に、琴光喜、琴奨菊など多士済々。親方衆も新・佐渡ヶ嶽親方の琴ノ若をはじめ、琴ヶ梅、琴稲妻、琴椿、琴錦、琴龍など星取で一喜一憂した往年の幕内力士がズラリ顔を揃えている。相撲ファンなら一度は見ておきたい部屋だろう。それも、力士から親方まで多士済々である、今のうちに見ておきたい部屋だ。
国から電車に揺られること1時間、千葉県松戸の松飛台駅から歩いて10分ほどの閑静な住宅街に、佐渡ヶ嶽部屋の威容がそびえ立っていた。
稽古場に入ると、ちょうど今から稽古が始まるところのようだ。よっぽど相撲が好きなのだろう。上がりがまちには、既に2〜3人の見学者が土俵を見つめていた。
私も彼らにならって座布団を1つ頂戴し、土俵がやや斜めに見える位置に腰を下ろした。土俵を横から見る位置だと、両者の全身が見えるものの、横顔しか見えず、その表情を楽しめない。土俵の正面だと、手前の力士のケツしか拝めない。私は、土俵が斜めに見える位置が好きで、ここだと仕切りから両者の顔つきが楽しめるという寸法だ。
挿絵と文章は関係ありません
マワシの若い衆たちが股割りを行い、体を入念にストレッチしていた。その後、腕立て、すり足といった準備運動が続く。すっかり頭の薄くなった琴稲妻が、竹刀を片手に「鬼軍曹」ぶりを発揮している。
しばらくして琴ノ若(佐渡ヶ嶽親方)が現れた。稽古中の力士たちがいっせいに「おぃーっす」と挨拶する。親方は、彼らには目もくれず、私たちに軽く会釈をして、誰も居ない向こう側の座敷の中央にドッカと座った。本場所で力士が土俵に上がるときにそうするように、若い衆がヒシャクに水を汲んで差し出すと、親方はそれを軽く口に含む。そんな光景を眺めながら、この稽古場もまた、本場所の土俵と同じように神聖な場所なのだと知った。
やがて2人の力士が申し合いを始めた。「ほらほら成田。お前はいつも腰が高いんだよ!」、「この渡辺が。足を上げるなって何度言ったらわかるんだ!」。テレビの解説では柔和な感じの琴ノ若も、稽古場では鬼と化す。「また引きやがって、こいつ。腕立てだ!」。「早くせんか!」。親方の叱咤に「はい」と返事をする力士たちの姿が痛々しくもあり、新鮮でもある。
撲の世界では日々の練習のことを稽古と呼ぶ。「稽」という字は、神が舞い降りる軍門の表木(看板)のこと。「稽古」とは、いにしえから伝わる神意を探求することを意味している。相撲は、単なるスポーツではなく、もちろん儀式でもなく、先人の教えに習って自らの生き方を考えることだ。
およそ聖人君子とはかけ離れた親方の怒号。時に竹刀が振り上げられ、ゲンコツが落とされる。それにいちいち「はい」と返事をして素直に従う若者たち。稽古場には、現代の「教育」だとか「指導」といった概念とはおよそかけ離れた光景が展開されている。それは、彼らがスポーツの技能を向上させているのではなく、道を究めようとしていることを如実に物語っていた。
(2007/07/01)
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