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38.紙一重の角界入り
鳳が新大関となった。弱冠21歳。幕内2年目、所要12場所でのスピード昇進だ。千代大海・魁皇・栃東・琴欧州の大関陣は、いずれも故障を抱えて低迷気味。独走状態にある朝青龍も稽古量が激減し、スタミナ切れが顕著になってきた。
かくも精彩を欠く上位陣にあって、白鵬だけは心技体を充実させて場所に臨むものと見込まれる。稽古やインタビューを見る限り、新大関のプレッシャーも無い。それどころか大関は通過点に過ぎないことを十分に自覚し、綱取りを目指すことを公言してはばからない。なんと頼もしいことだろう。
長192cm、体重153kgという大きくて均整のとれた体つき。差し身の鋭さ。低く重い腰。ここ一番での勝負強さ…白鵬の長所を挙げたら枚挙にいとまがない。
血筋も申しぶんない。父親のジグジドゥ・ムンフバト氏は、モンゴル相撲の大横綱で国民的英雄だ。母親は元医師。環境にも経済的にも恵まれた家庭で、優れた身体と頭脳の遺伝子を受け継ぎ、まさに相撲界で活躍するために生まれてきたような男だ。そんな白鵬だが、決して将来を嘱望されて角界入りしたわけではない。
挿絵と文章は関係ありません
成12年10月に6人の若者がモンゴルから来日した。相撲取りになるために大阪の摂津倉庫で相撲を習い始めた。それを親方衆が代わる代わる見に来て、有望株をスカウトしていった。猛虎浪、大想源、大河らの入門が決まっていったが、痩身だった白鳳には最後まで声がかからなかった。
やがて滞在期限が迫り、白鵬は失意のうちに帰国の準備を始めた。だが帰国前日の12月24日、運命の歯車が大きく動き始めた。モンゴルの先輩である旭鷲山が師匠の大島親方に(元大関旭國)に相談し、大島は友人の宮城野親方(元前頭竹葉山)に受け入れを頼み込んだ。宮城野は、残された3人の中からあえて白鳳を指名したわけではない。直接会うこともなく「それでは一番背の高い子を引き受けましょう」と答えたそうだ。
うして、白鵬は帰国前日に自分の居場所を与えられた。その後の躍進は言うに及ぶまい。同期モンゴル勢に大きく水を開け、恩人である旭鷲山をはじめ幾多の先輩力士をも追い抜いた。そして今場所は大関まで昇進し、最後の目標たる朝青龍をも脅かさんとしている。
人生の“綾”とは不思議なものだ。そして、チャンスを完璧にものにした白鵬の努力と強運に思いを馳せるにつけ、今場所での活躍を期待せずにはいられない。願わくば、初の賜杯を抱くところを見たい。
(2006/05/01)
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