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現在は一般的に用いられている「相撲」という文字。実は他にも「すもう」と読む文字がある。 奈良朝時代は「相撲」ではなく「角力」や「角抵」の文字が使われ、いずれも「すもう」と読ませていた。これらの文字は中国から輸入されたもの。それ以前の日本には、「争う」とか「抵抗する」といった意味を持つやまと言葉、「すまひ」、「すまふ」という言葉があった。それに上記のような漢字を当てて使われていた。 しかし中国から輸入さた「角力」という文字は武術の「力くらべ」で、必ずしも今の相撲をさしてはいない。この文字は『古事記』にも登場するが、手と手を取り合ってねじり合い蹴り合う、いわばアマチュアレスリングのような格闘技を示していた。 日本の文献に初めて「相撲」という文字が登場するのは『日本書記』。天皇が官女を集め、ふんどしを締めさせて相撲をとらせたものだ。女相撲が「相撲」の第1号だったのは面白い。やがて奈良時代、平安時代、鎌倉時代を通して相撲(すまい)、相撲人(すまいびと)という文字が頻繁に使われるようになっていった。 |
元来、「相撲」という文字は古代中国には存在しない。漢語に詳しいインド人が、わざわざ新しい熟語を作ったのだ。サンスクリット語の「ゴタバラ(相撲の意)」に対して、中国で使われていた「角力、角抵」といった文字を採用せず、新たに「相撲」という熟語を充てたものだ。 インドと中国のすもうの形態がかなり違っていたところから、新しい文字を創案したものと思われる。「相撲」という文字がインド人の発明というのも、これまた興味深い。 江戸時代に入ってからは角力の文字が復活し、宝暦七年以降三十七年間は「勧進角力」で通し、寛政六年から「勧進大相撲」と文字が改まる。大正時代まで表記の仕方は混用されたが、新聞、雑誌は角力が目立っていた。だが、大正十五年に三十六年間使用した角力協会を、大日本相撲協会と改めてからは、昭和になって再び「相撲」の文字がしだいに普及するようになった。昭和三十三年からは大日本の「大」をとり、日本相撲協会となって現在に及んでいる。 「相撲」の文字一つとっても歴史がある。現在でも年配の作家は昔懐かしい「角力」の文字をいまだによく使っている。このエッセイも「角力エッセイ」としているが、それは相撲の歴史にふと思いを馳せるようなものにしたいからだ。 (2006/01/01) |
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