|
出島の相撲ほど溜飲の下がる勝ちっぷりはない。立ち合いから一直線に相手を押し出す相撲は、俗に「電車道」と呼ばれる。所要時間1秒。体重があって、体に幅があって、なおかつ瞬発力がある力士だけが発揮できる「電車道」は、見ていて最も気持ちのいい勝ち方だと思う。 だが今の時代、出島のような相撲を取る力士は少ない。一瞬の勝負は、変化技に弱いという点でもろく、ケガの危険性を常にはらむ。相撲を長く取り続けるのが難しいし、そのため出世することも、番付を維持することも厳しい。 「電車道」があまり見られなくなったことと、公傷制度の撤廃は無関係ではあるまい。公傷制度がなくなったために、力士はケガをしても休めなくなった。無理を承知で土俵に上がるため、ケガはますます深刻化する。当然、相撲内容も悪くなり、番付を下げる。挙句の果てには引退も早まるというわけだ。 一般に「四ツ相撲」より「押し相撲」のほうがケガをしやすいものだ。同じ「押し相撲」でも琴欧州や黒海のように、相手と距離をとって、長いリーチを生かして出て行く突き押し相撲ならまだいい。出島のように体ごと相手にぶつかっていく突貫相撲は、常にケガと背中合わせだ。相手に引かれたり、いなされたり、たぐられたり、とにかく突進が空を切った瞬間に、自らが危険にさらされる。 |
相手を組み止めるモンゴル勢が活躍しているのは偶然ではない。あるいは手足の長いヨーロッパ人力士が台頭しているのは。彼らはケガをしにくい相撲を取っている。幕内レベルまでくると、単に相撲が強いだけでなく、ケガをせずコンディションを維持できる力士でなければ上がって来れないし、長く定着できないものだ。 歴代の横綱を振り返っても、双葉山、羽黒山、栃錦、(初代)若乃花、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花そして朝青龍…一時代を築いた大横綱はことごとく四ツ相撲。押し相撲で大成した横綱は皆無に等しい。 そのせいか出島が見事な電車道で勝っても、私はそこはかとない哀愁を感じる。出島は通算白星や幕内在位といった数字を積み上げることをよしとしていない。ただひたすらに自分の相撲、ひいては自分の美学に徹している。そのはかなくも美しい武士道精神に、日本人特有のセンチメンタリズムをもって共感する。 出島は今の相撲を取り続ける限り、常にケガと背中合わせだ。二度と再び大関に返り咲けないのかもしれない。それでもなお電車道にこだわり続ける出島という力士の、頑迷なまでの相撲に、心からのエールを送ろうではないか。 (2005/06/01) |
バックナンバー 次のエッセイを読む |