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23.苦節13年
藤君を初めて見たのは今から13年前。中学卒業と同時に尾車部屋への入門を決め、上京する前に、本社(東奥商事)へ挨拶に来てくれたのだ。まだボウズ頭の中学生。目もとが凛として精悍な雰囲気はあったが、体は決して大きくない。体格に惚れこんで親方がスカウトしたのでなく、自ら弟子入りを志願したものだ。
やがて佐藤君には「舞風(まいかぜ)」という素敵なシコ名が付けられた。師匠の現役時代のシコ名「琴風」から「風」の1字をもらい、番付が舞い上がるようにとの願いが込められた。しかし舞風の番付は、シコ名のように舞い上がらなかった。幾度もケガに見舞われ、三段目から幕下あたりを行ったり来たり。そうやって、13年という途方もない年月が経った。
年の夏場所、舞風は幕下筆頭まで上がった。3勝3敗で迎えた千秋楽、十両の大翔大に敗れて負け越し。地元・十和田市出身の力士ということで、私の応援にも力が入っただけに、負け越しが決まった瞬間は「舞風もここまでか」という思いが頭をかすめた。
しかし舞風の闘志は消えなかった。その後3場所かけて、ついに十両昇進を決めたのだ。28歳での重量昇進は史上11番目のスロー出世。奇しくも師匠である大関琴風が引退したのと同じ年齢で、舞風は遅咲きの華を咲かせてくれた。
挿絵と文章は関係ありません
日、舞風の「十両昇進祝賀激励会」が十和田市で行われた。大銀杏に紋付・袴・羽織を着た舞風関の晴れ姿は、見違えるばかりに立派だった。すでに化粧回しもできあがっており、馬のまち十和田市に因んで、八甲田山のふもとを2頭の馬が駈けているという図案だった。
恩師のスピーチが印象深い。中学3年の佐藤君は、卒業文集の寄せ書きに 「夢=努力」 という言葉を書き残したという。いかにも舞風らしい。その後彼を待ち受ける相撲人生を暗示するかのような言葉に胸を打たれた。
普通なら3年、5年で見切りをつける。10年経っても芽が出なかったとき、彼は何を考え、周囲は何を言ったことだろう。それでも挫けず、13年目で到達した「夢」だ。その感慨たるや、本人ならずば分かるまい。
風は首に爆弾を抱えている。頚椎ヘルニアで、一歩間違えば半身不随。命も失いかねない部分だ。そのため彼本来の「頭からぶつかる相撲」は長らく封印されてきた。
夏場所後、幕下筆頭で負け越した舞風はこの封印を解いた。「このままで終わりたくない」という一念が、彼を阿修羅に変えた。首のダメージを省みず、身を削る苦闘を続けた。その決断が正しかったのか、正しくなかったのかは分からない。ただ、彼を関取の座へと導いたことだけは確かだ。
晴れて郷土へ凱旋した舞風を、青森県知事や十和田市長、母校の校長といった地元名士が暖かく迎えた。激励会にも500人の後援者が集まり、その模様は地元のテレビや新聞で大きく報じられた。激励会で挨拶する舞風の姿を、付き人がしきりにカメラで撮っていた。「実力が全て」の相撲界を、その好対照な二人の力士が象徴していた。
(2005/01/01)
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