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20.大横綱は嫌われ者?
常事態である。
千田川親方(もと関脇・安芸乃島)が高田川部屋に移籍することになった。他のスポーツであれば何でもない出来事で終わってしまうが、こと相撲界ではきわめて異例だ。
引退して年寄名跡(としよりみょうせき)を襲名した力士は、晴れて「親方」を名乗ることができる。このうち自分で部屋を興し経営を行うのが「部屋持ち親方」。自分の部屋を持たず、どこかの部屋に所属するのが「部屋付き親方」だ。一般に、現役を引退してすぐ部屋を興す親方は少ない。部屋を作るための資金が無いし、たとえ部屋が作れたとしても、弟子がいない。まずは「部屋付き親方」として協会の仕事をおぼえながら、お金と弟子が集まってきてから独立するのが常だ。
定年まで「部屋付き親方」で通す者も珍しくない。リスクを冒してまで部屋経営に乗る出す意欲がなかったり、出羽海部屋のように分家独立を歓迎しない気風の一門もあるからだ。
て千田川である。
千田川は引退後、貴乃花部屋の「部屋付き親方」になった。もともとの師匠は二子山親方(もと大関・貴ノ花)だが、実子の貴乃花親方(もと横綱・貴乃花)に部屋を譲り、名称も貴乃花部屋に変わった。だから千田川が貴乃花部屋に所属するのは至極順当だ。
しかし、千田川は間もなく高田川部屋へ移籍。同じ「二所一門」ではなく、他系列の「高砂一門」への高飛びだ。しかも高田川は高砂の中でも異端児的な存在。協会の役員選挙では、必ずしも同門の推す親方に投票しない。そういう一匹狼の高田川のもとへ、角界の大功労者・安芸乃島が走らなければならない理由がどこにあろう。
千田川の移籍の奇妙さはそれだけに留まらない。本来なら所属する貴乃花の承諾を得なければならないところを、二子山の承認のみで移ってしまった。それを受理した協会の意向も解せない。二子山を「後見人」として認め、貴乃花のハンコをむらわぬまま移籍を承認しているのだから。これでは栄誉の「一代年寄」の立つ瀬がない。
千田川は、なぜ同門の部屋へ(たとえば盟友・貴闘力のいる大嶽部屋へ)移らなかったのだろう。なぜ異端児・前の山の高田川を移籍先に選んだのだろう。なぜ二子山は千田川の移籍に同調したのだろう。そして、なぜ協会はそれを受けたのだろう。
挿絵と文章は関係ありません
下は邪推である。
もしかすると貴乃花はきわめて人望の薄い人物なのかもしれない。もっとはっきり言えば、嫌われ者だったのではないだろうか。それも、父親であり師匠でもある二子山が「しょうがないな」と思えるほどの。
千田川はこれ以上貴乃花部屋にいることに我慢できず、親方業から足を洗うか、ひんしゅくを買うのを承知で他所へ移るしかなかったのではないだろうか。そう仮定すると、いろいろな疑問が一気に解ける。貴闘力はじめ同門の「部屋持ち親方」たちは、千田川が自分の所に転がり込んでくることを歓迎しなかったと考えられる。名門の親方だって、系列を無視して移籍しようなどという者を引き受けたくはないだろう。だが、高田川ならそんなことを気にしまい。不合理なしきたりや因習には目もくれない人物だ。千田川は、べつに高田川を師事したわけでなく、高田川しか自分を受け入れる部屋がなかったから、そこに身をよせたのではあるまいか。
下も邪推である。
「貴乃花は嫌われ者」という仮定にそっくりなケースがある。千代の富士こと九重親方だ。千代の富士が先代(もと横綱・北の富士)から部屋を譲り受けたとき、九重の部屋付き親方たちはこぞって北勝海の八角部屋へ移籍した。しまいには師匠の北の富士までが、本家の九重を飛び出す始末。よっぽど九重部屋の居心地が悪かったのだろうか。
言うまでもなく千代の富士は「昭和の大横綱」。そして貴乃花は「平成の大横綱」だ。角界を代表する金看板の二人が興した部屋は、弟子も集めやすく、マスコミやファンの注目も浴びやすい。「部屋付き親方」も、本来なら地味な部屋に所属するよりは、色々な面でメリットがあることだろう。それにも関わらず「部屋付き親方」たちは、ことごとく分家へと退散してしまった。土俵上での技能は、かならずしも人望とはシンクロしないということなのだろうか。
(2004/10/01)
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