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18.「死に体」は死んだ
ールドファンなら誰もが知っている名勝負がある。舞台は昭和47年初場所。横綱北の富士と、新鋭貴ノ花の大一番だ。両マワシをつかみ万全の体勢で土俵際へ寄る北の富士を、貴ノ花が驚異の粘り腰でうっちゃり。北の富士の体が先に地面に着いたのは誰の目にも明らかだった。しかし軍配は北の富士へ。貴ノ花の体が死んでいた、つまり「死に体(しにたい)」とみなされたからだ。
足が土俵を割ったり、体の一部が地面に着いていなくても、体そのものが挽回不可能なほど完全に倒れつつあれば、それは「死に体」として負けとみなされる。しかし一方では、最後の最後まで勝負を諦めずに粘る相撲もある。貴ノ花はそれで幾多の勝利をつかんできたし、その息子の貴乃花や若乃花は、最後まで手を着かず「顔から落ちる」相撲で横綱まで上りつめた。死に体と粘り腰の区別はきわめて曖昧だ。
場所中日の結びの一番は荒れた。それまで全勝で来ていた朝青龍が、琴ノ若の上手投げで裏返しにされた。このとき朝青龍はブリッジの体勢でこらえながら、琴ノ若のマワシを最後まで放さなかった。一方、「すでに朝青龍は死に体」と判断した琴ノ若は、横綱の上に倒れては危ないので手を着いた。その手が、朝青龍が落ちるより一瞬早く地面に着いた。
物言いがつき、3分を越える審議の末に「取り直し」。再戦は朝青龍の圧勝に終わった。取り組み後のインタビューで琴ノ若は「あれは『かばい手』だった。はっきり勝負がついていたから手をついたまで。あのまま横綱の上に倒れこんでいってもよかったのだ。こんなことなら『死に体』なんて制度は無くしたほうがいい」と語った。
挿絵と文章は関係ありません
ノ花こと二子山親方はこう語る。
「私はブリッジの体勢で頭が地面に着くほど反りながら、また起き上がることができた。だから着地寸前まで反り返っても、私の場合は死に体ではなかったのだ。つまり個人差がある。体が硬くて、ちょっと反っただけでも残れない人もいるのだから」と。
つまるところ死に体とは、状況や体勢あるいは体の角度ではなく、「誰が残そうとしているか」が見極めのポイントということになる。朝青龍=琴ノ若戦に関して言えば、足腰の強い朝青龍だから死に体にならなかったと言える。
それでいいのだろうか。足腰の強い力士と、体の硬い力士で判定が変わってくるということがあっていいのだろうか。行司や審判は、それぞれの力士がどれだけ足腰が強くて体が柔らかいかを把握しているのだろうか。「こんな制度なら無くしたほうがいい」と言った琴ノ若のコメントは、決して敗者の捨てゼリフではなく、今後の勝負の見極めに関わる重要な問題提起だったと思う。
れから3日後の11日目、琴ノ若は玉乃島と対戦。琴ノ若に左上手を取られた玉乃島は、浴びせ倒しで敗れた。玉乃島が崩れていくとき、琴ノ若は朝青龍戦と同じように手を着いて玉乃島の体をかばった。玉乃島は取り組み後「琴ノ若関が手をついてくれなかったら大ケガをしていただろう」と、その気づかいに感謝していた。
まったく、琴ノ若という男は根っからのお人よしだ。
(2004/08/01)
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