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栃東の相撲は美しい。体は決して大きくないが、技術がそれを補って余りある。巧みなおっつけは相手のかいなを宙に漂わせ、華麗に円を描く足さばきは相手の突進力を分散させる。テコの原理や遠心力といった運動力学が、栃東の相撲の随所に息づいている。 「ワザ師」と言えば、私は若乃花と舞の海を思い浮かべる。彼らと栃東の「ワザ師」ぶりは全く異なる。強靭な足腰から起死回生の大技を繰り出した若乃花の相撲は、見るからに力強く華麗であった。相手を研究し尽くし、心理面まで読んで相手の意表をつく舞の海の相撲は、他者にはマネのできない変則的なものであった。その点、栃東はあくまでも四ツ相撲の正攻法。逆転技や変化技でなく真っ向勝負を挑む。その技巧が放つ「いぶし銀」の輝きが、私を魅了してやまない。 そんな栃東が、あろうことか大関を陥落。今場所は、平成13年九州場所以来の関脇の地位で相撲を取る。過去2場所を休場したものの、依然として右肩の状態は悪い。それどころか右肩をかばうあまり左肩も故障し、内臓まで壊してしまった。手術をすれば、完治するまで早くて半年。手術したからといって完治する保証もない。だから栃東は手術をせず、故障をなだめながら土俵に立つ道を選んだ。 今場所を目前にして、栃東は「かいなを返すと痛みが走るので、できるだけ使わないようにする」とコメントした。これは栃東の生命線である左おっつけの封印を意味する。左を使えぬまま土俵に上って相撲になるだろうか。 |
二世力士として注目を浴び、若くして出世街道を駆け上がった栃東が、いま絶体絶命の窮地に立たされている。あれだけ理詰めの相撲を構築していた栃東の技巧も、満身創痍の体では十分に発揮されない。 今場所10勝以上すれば大関返り咲きが叶うわけだが、今の栃東にとっては高い高いハードルだ。対戦相手は先場所とほぼ変わらないにも関わらず、栃東の体調は、稽古量が少ないぶん先場所より落ちる。ましてや猛暑の名古屋。稽古不足によるスタミナ切れが大いに懸念される。とにかく、ケガを治す時間がない。公傷制度の無くなった今、大関の地位を取り戻そうと思ったら、ケガを押して強硬出場するか、もしくは幕内下位まで落ちるのを覚悟でじっくり療養するしかない。栃東は前者の道を選択した。 だが私は栃東の「血」に一縷の望みを託している。親譲りの技巧派の遺伝子が、さらなる覚醒を果たすのではないか、と。さらに言えば、師匠栃東のそのまた師匠は、究極の技巧派・栃錦だ。あるいは明大中野という系列で言えば、若貴兄弟の相撲をも受け継いでいる。それら多くの偉大なる先人の土台の上に、栃東の相撲が築き上げられてきた。 ここで終わるような男ではない!と信じたい。このさい大関復帰はいつでもいい。復帰しなくてもいい。一相撲ファンとしては、もういちど由緒正しい正攻法の技能相撲を見せてほしいものだ。春場所2日目以来の土俵復帰。栃東の奮闘ぶりに注目されたい。 (2004/07/01) |
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