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去る2月29日、第42代横綱の鏡里が亡くなった。享年80歳。現役時代は、まるで相撲人形のように見事な「たいこ腹」をした、絵になる横綱だった。 千代の富士以降しか知らない私にとって、鏡里は伝説上の人物だった。新聞で訃報を知ったときは、今年の2月までご存命だったことが意外に思えた。もっと遠い昔に存在した人物だと勝手に思いこんでいたからだ。書物やエピソードで知る鏡里には、そんな古色然とした雰囲気が漂っている。 鏡里は、「角聖」と言われた双葉山を崇拝していた。双葉山は、相撲を「相撲道」と呼び、部屋を「道場」と称し、成績よりも精神的な崇高さを追い求めた。鏡里も双葉山イズムの影響を受け、ストイックで求道士然とした相撲哲学を持っていた。 今年の初場所をテレビで見ながら、「ケガが多いのは稽古が足りないからだ」と言っていたそうだ。あるいは「最近は相撲を見せずに、勝ち負けだけを見せている」とも。相撲内容に対する不満のことを言っていたのではあるまいか。 |
もうひとつ有名なエピソードとして、後援会を作らなかったことがある。そう、横綱鏡里には後援会が無かったのだ。母親に対するいたわりの気持ちがそうさせた。すなわち後援会の人々に頭を下げてまわることを、田舎育ちの朴訥な母親にさせたくなかったのだ。 後援会に限らず、鏡里のエピソードは謙虚で人間愛に満ちている。例えば昭和26年の初場所が終わり大関に推挙されたとき、鏡里は部屋でその伝令を迎えなかった。大関になれるとは夢にも思わず、大阪の友人を見送るために東京駅まで出かけていたのだ。 戦後間もないころは、行商に歩いている老婆を呼びとめ、荷物を全て買い取ったとも言う。大きな荷物を背負う老婆を見るに見かねたせいだ。勝負の世界で頂点まで上りつめた偉丈夫の心中には、人一倍の優しさと慈しみの心が内在していた。 勝つことが全て、勝てば誰にも文句を言わせないとうそぶく横綱がいる。全国各地に後援会を作り、家族を総動員して金集めに奔走する力士もいる。大関を目前にして星勘定に一喜一憂する力士もいる。それらが悪いとは言わない。 鏡里のような力士は、今の世には現れにくいのかもしれない。強くて、優しくて、心の純粋なお相撲さん。わずか2カ月前まで生きていた人を、なんとなく遠い昔の人物だと思ってしまったのは、そんな鏡里の魅力によるところが大きい。 故人のご冥福を祈りたい。 (2004/04/01) |
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