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昭和の終わり頃から、大学を出て角界入りする力士が顕著になった。出羽の花、舛田山、栃司、栃乃和歌、両国、久島海といった力士たちだ。しかし、それはあくまで少数派。学生にすれば「大学を出てまで相撲取りになりたくない」という風潮があったろうし、それ以上に親方衆に「大学出は年を取りすぎてモノにならない」という先入観があった。しかし舞の海あたりから学生相撲が続出し始めた。大翔山、大翔鳳、大輝煌、肥後の海、濱ノ島、智乃花、朝乃翔..... 今や常時10人前後の学生出身が幕内を占める。最大の功労者は日大の田中監督だと思う。田中監督が、日大相撲部の練習を、相撲部屋の稽古に勝るとも劣らぬものにした。それによって、角界に入ってもすぐに通用する力士が次々に現れた。日大が強くなったことで、他校も負けじと強化に努めた。その相乗効果が学生相撲全体をレベルアップさせたのだ。今や日大勢は琴光喜と高見盛のわずか2人。他は武双山が専修、土佐ノ海が同志社、栃乃洋が拓殖、出島が中央、雅山が明治、玉乃島が東洋、霜鳥が農大、.... と、実にバラエティーに富んでいる。列挙してみると、それぞれ個性的で自分の型がある。大物食いをする力士も多い。へたに早い時期から相撲部屋に入るよりも、大学相撲で揉まれたほうが成功する時代になってきたのではないだろうか。 |
だが、不思議なことに学生出身はなかなか大関や横綱になれない。高校生でアマ横綱を獲得し、学生時代は無敵の強さを誇った久島海でさえ前頭筆頭に終わった。土佐ノ海や栃乃洋もやがて大関になりそうな気がした。それほどの快進撃で一気に三役まで駆け上がりながら、今なお大関に届かない。怪物・武双山ですら大関に甘んじている。横綱に至っては、学生出身はいまだ輪島しか出ていない。 学生出身力士、それも学生時代にあるていど活躍した力士の入幕率はそうとう高いに違いない。にも関わらず、大関以上に昇進する確率はきわめて低い。今や幕内力士の4人に1人が学生出身なのに、ほとんど横綱や大関になれないのはなぜだろう。何か原因があるに違いない。それが稽古なのか、精神的なものかは判らない。彼らは学生時代に何かを失い、あるいは何か身に付けてしまい、強くなりきれないのではないだろうか。 (2003/06/01) |
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