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貴乃花が引退した。数々の最年少記録を更新し、数々の名勝負を演じ、実力・人気ともに一時代を築いた大横綱と言っていい。そんな貴乃花に、アナウンサーが力士生活で最も嬉しかったことを尋ねたら、意外にも「十両に上がったとき」という答が返ってきた。もっとすごいことをたくさんやっているにも関わらず、だ。貴乃花に限らず十両昇進を「いちばん嬉しかったこと」にあげる力士は多い。いや、ほとんどの力士がそう言う。それほど関取になることの意味は大きいのだ。 関取。力士は十両以上になって初めて「〜関」と呼ばれる。一種の敬称だ。関取になると全ての待遇が一変する。まず給料がもらえる。それ以前は、せいぜい親方やおかみさんから小遣いをもらう程度なのだから、嬉しくないわけがない。これまで務めてきた「チャンコ番」も免除される。部屋も、共同部屋から個室へと移る。既婚者なら自宅から部屋へ通うことも許される。ほかにも稽古で白いマワシが締められたり、(チョンマゲでなく)大銀杏が結えたり、本場所は草履に紋付き・はかま姿で場所入りし、化粧マワシで土俵入りし、取り組みは(木綿ではなく)シュスの締め込みにノリで固めたサガリを付け、制限時間も長くなる。つまり十両と幕下は、天と地ほどに違うのだ。 |
関取になったことを一番実感するのは、付き人があてがわれた時だろう。日常の細々したこといっさいを付け人がやってくれる。服を着せ、荷物を持ち、稽古場では汗を拭き、風呂では体を洗ってくれる。それまで自分がやっていたことを付き人に命じながら、力士は自分の出世をしみじみと実感する。紋付に大銀杏といういでたちで、付き人を従えて里帰りすることが、関取として最初の親孝行になる。 力士の地位は番付が発表されたその日に決まる。そしてその地位は、次の番付発表まで2カ月間動かない。極端な場合は、昨日まで付き人として従えていた力士に、今日から自分が従わなければならない羽目になる。だから長く関取を務めたベテラン力士は、十両陥落が決まったときに引退を決意するものだ。今さら付き人など、プライドが許さないのだ。 濱ノ嶋という力士がいる。名門の日大相撲部出身で、10年以上も幕内を務め、三賞や三役の経験もある。そんな男が、もう1年以上も幕下にいる。30歳をとうに過ぎ体力も落ちていることだろう。プライドはズタズタだ。それでも濱ノ嶋は相撲を取り続けている。ひたむきに土俵に上がり続けるその姿を見ていると、こちらまで元気づけられる。 (2003/05/01) |
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