綱の系譜 | ||
第34代横綱:男女ノ川 登三 | ||
大砲以来の大型横綱で「動く仁王」といわれたが、成績にはムラがあり未完に終わった。とりわけ武蔵山戦は昭和初期の人気取り組みで、レコードにもなった。個性的な四股名は百人一首からとったものである。 自分で車を運転して自宅から部屋へ通ったり、早稲田大学の聴講生になったりと、現役中から型破りの人生を送る。引退後は協会理事を廃業後、参院選に立候補。私立探偵や保険外交員にもなっていた。晩年は養老院へ入ったりするが、料亭の下足番をしながら死去した。 |
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Minanogawa |
本名 | 坂田 供次郎 |
生年月日 | 明治36年9月17日 | |
出身地 | 茨城県つくば市筑波町磯部 | |
身長・体重 | 193cm、154kg | |
所属部屋 | 高砂→佐渡ヶ嶽→高砂→佐渡ヶ嶽 | |
初土俵 | 大正13年1月 | |
新入幕 | 昭和3年1月 | |
横綱昇進 | 昭和11年5月 | |
最終場所 | 昭和17年1月 | |
幕内勝率 | 64.5% | |
横綱勝率 | 61.3% | |
優勝回数 | 2回 | |
年寄名 | 男女ノ川 | |
没年月日 | 昭和46年1月20日 | |
享年 | 67才 | |
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